イラクのテロリストに拉致された日本人旅行者が無残に殺害されました。
元バックパッカーの私にとって、とてもショッキングな事件でした。
彼が泊まっていた宿のクリフホテルはバックパッカーの間では有名な宿で、ヨルダンの首都アンマンにあります。
6年ほど前、この宿に滞在したとき、私もイラク行きを考えたことがあります。
ここには旅行者たちが自分が体験した旅や旅をする上で有益な情報を書き綴ったノートがあります。
日本人旅行者の間では「情報ノート」の名で呼ばれているものです。
このノートにはくだらない情報も多いのですが、ものすごい旅をしてきたつわものたちがガイドブックには載っていない貴重な情報を残していることもあります。
こうした情報はコピーされ、旅行者から旅行者へと渡ってきます。
勝手な推測ですが、イラクに行って帰って来た旅行者がこのノートにイラクの入国方法や現地の情報などを載せていたのだと思います。
彼はそれを見てイラク行きを決意したのではないかと思われます。
イラクへ行った彼に対して、無謀だ、軽率だといろいろ非難する声があります。
確かにそのとおりなのですが、同じような旅をしてきた私は彼の気持ちが少しわかるような気がします。
危険と言われたり、人が恐れて行かなかったり、ためらったりする国や場所へ敢えて踏み込む旅行者がごく少数ですが必ずいます。
動機はそれぞれだと思います。
冒険したい、不可能にチャレンジしたい、羨ましがられたい、好奇心など様々です。
私が会った中でいちばん凄いと思った旅行者は、チベットからネパールまで世界の屋根と言われるヒマラヤ山脈を歩いて超えた学生です。
高度が5000m以上の峠もあり空気が薄く、しかも積雪で道が封鎖された冬季にです。
途中、自分を追い越していったチベット人がその先で凍死しているのを見かけたそうです。
彼は生きてネパールに辿りつきましたが、行き倒れていたら、雪が溶けるまで行方知れずになっていたはずです。
常識ある人からすれば無謀な旅に間違いありません。
6年前、現地人と同じ服装をまとい、アフガニスタンに入国したことがあります。当時はタリバンが破竹の勢いで内戦状態の国を次々に制圧していたときでした。
事前に現地の言葉を暗記し、情報ノートから集めた現地の情報を頼りに、国境を越えました。
ちょうど私が入国前にアフガニスタンに入った日本人旅行者が行方不明になった事件がありました。
当然私も入国を引き止められたり、「なぜ行くの?」とよく尋ねられました。
なぜという質問に納得してもらえるほどの真っ当な理由はありませんでしたが、万一の時の覚悟はしていました。
当時の情勢は現在のイラクのものと比較にはなりませんが、無茶なことをしたものだと思います。
しかし私なんかよりもっと無茶な日本人旅行者にアフガニスタンのある街で出会いました。
彼はなんと自転車でパキスタンから砂漠を越え、ここまでやってきたのです。
しかも彼はそのときマラリアに発症していました。
定期的にやってくる発熱時には休み、平熱に戻ると自転車を漕ぎ、何とか医者のいるこの街にやってきたそうです。
驚くべき強靭な肉体と精神力に感服しました。
冒険家として知られた故植村直己氏の著書の言葉に胸にささる言葉があります。
「冒険とは生きて帰ってくること」。
これは植村氏の覚悟の言葉のように私には感じられます。
今回のようなイラクの出来事は植村氏の冒険とは同時に論ずることはできませんが、イラクに飛び込んだ彼も恐らく最悪の事態に対しての覚悟は決めていたはずです。
日本に帰りたいと言っていた彼の言葉が耳に残ります。
ご冥福を心から祈ります。