夏も本番になってきましたね。
お祭りなどが各地で行われ、浴衣姿の女性を見かけたり、花火の音が遠方から聞こえてきたりします。
こんな季節、アクセサリーを売っている露天商の外国人を街角で見る事がありませんか?
彼らの風貌から、西洋人だと思っている人が多いと思います。
実は彼らのほとんどはユダヤ人です。
試しに彼らに「Where are you from?」と訊いてみると「Israel」と返ってきます。
少しだけイギリス人がいたりするらしいのですが、私はまだ会った事がありません。
なぜ極東の日本にこんなにたくさんのユダヤ人がいるのか?
これはどうもユダヤ人に継承されてきた伝統のようです。
ユダヤ人には若いうちに世界を見ておく事は良い事だという考え方があり、異国の地に飛び出すことにためらいが少なくありません。
そのため、世界各国でユダヤ人バックパッカーに出会います。
彼らを見かけないのは、イスラム教国くらいです。
イスラエルのパスポートだとイスラエルを認めていないイスラム教国は入れない場合がほとんどだからです。
また商才に長けた彼らはただ旅行するだけでなく、物価の安いインドなどで仕入れたものを物価の高い日本でさばくことにより旅費や資金を稼ぎます。
許可のない路上での営業はもちろん違法ですが、それにもまして問題となるのが、恐いお兄さんが「ワレ、誰に断ってここでモノを売っとんじゃ!」と出てくることです。
数年前、バンコクで出会ったユダヤ人にこの辺を聞いてみると、達者な日本語で、
「オレ、名古屋住んでたよ。名古屋のヤクザのナンバーツー、トモダチね。」
と自慢げに話してくれました。
どうやら露天商のユダヤ人ネットワークと地元のヤクザは古くからのつきあいで共存関係にあるようです。
ユダヤ人の若者が世界各国を旅するのには、彼らの伝統のほかにもうひとつ理由があるようです。
それは徴兵制度です。
イスラエルには男女共に徴兵義務があります。
男性は3年、女性は2年間の兵役につかなくてはなりません。
イスラエルはイスラム教徒のパレスチナ人が住んでいた土地に、無理やり建国したため、周りはみんな敵だらけです。
イスラエル国内にあっても、対立するパレスチナ人との戦闘などで常に死と直面しています。
そんなわけで、兵役が終わったあとにはその開放感から多くの若者が国外に飛び出し、半年から1年ほど旅を続けるようです。
イスラエルのユダヤ人人口は約490万人。
横浜市と川崎市を足した数より少し多いくらいです。
同年代の兵役人口は限られており、友人の名前をいくつか挙げれば大抵知り合いにあたるはずです。
旅で出会うユダヤ人同士が兵役を終えた直後の同年代ということもあって彼らはすぐに群れを作ります。
このあたりは日本人も同じです。
日本人は人種と言葉の壁から固まりますが、ユダヤ人は人種と兵役仲間で固まるようです。
ユダヤ人はその厳格なしつけや教育などで有名なはずなのですが、なぜか海外に出るとそうした一面があまり見られません。
夜遅くまで騒いでいたり、地元の人間に横柄だったり、公共のバスの中でガンジャをきめていたりと例をあげればきりがありません。
都市伝説だと思いますが、「ユダヤ人お断り」と貼り紙された宿がバンコクの安宿街にある噂されるほどです。
また彼らの値切りっぷりは商才に長けた民族らしくかなりのものです。
インドでモノを買うときにシツコク値切っていると「オマエはユダヤ人か?」と言われることもしばしばです。
彼らの貧乏旅行ぶりは徹底していて、その町でいちばん安い宿に行くと大抵ユダヤ人か日本人がいます。
バンコクからチェンマイまで約800kmの距離を600円で行くいちばん安いバスに乗ったときは、車内のほとんどがユダヤ人でビックリしました。
前出の「名古屋のヤクザのナンバーツー、トモダチね。」と自慢していたユダヤ人もこのバスで出会いました。
ひとりひとりはとても気さくで、すぐにファーストネームを聞いてくるアメリカ人以上にフレンドリーです。
ヘブライ語の発音が日本語と似ているため日本語を上手に話し、日本に滞在していたことがあったりして共通の話題も多いのですぐに親しくなれます。
ただ集団になるとなぜかその傍若無人さが目に余ることがあります。
「宗教・伝統を頑なまでに保持し、虐げられてきた民族」というステレオタイプの見方を持っていた私にはちょっと意外な事実でした。
こんな話を日本人同士が集まったときにすると、「じゃあ日本人はどう思われているんだろう?」という疑問が出てきます。
ステレオタイプではない“外国人から見た日本人像”を機会があれば聞いてみたいものです。