「塞翁が馬」
これは私の座右の銘です。
高校生のときに読んだ本に影響を受け、以来この言葉が私の座右の銘となりました。
苦しい時やつらい出来事に遭ったときは、この言葉を思い出し、「この経験は近い将来起こる大きな喜びや幸せの呼び水なんだ」と、楽観的に考えるようにしました。
ひとつの出来事を「前向き」にとらえるのも「後ろ向き」にとらえるのも、決めるのは自分です。
同じ出来事ですが、どうせなら「前向き」にとらえておいた方がよさそうです。
人生は一度っきりですし、この時はもう2度とやってきませんしね。
「塞翁が馬」の故事の意味は本来「運命の吉兆は予測できない」ことを伝えています。
それを文字とおりにとらえず、都合の良い部分だけを自己解釈してとらえています。
「塞翁が馬」
異民族の地と接する辺境の砦(塞)付近に占いの得意な老人(翁)がいた。
あるとき、その老人が飼っていた馬が異民族の地へ逃げてしまった。周りの人々が「残念でしたね」と慰めると、
「いや、このことは福をもたらすかもしれない」と老人は言った。数ヶ月後、その馬は異民族の地から駿馬を率いて戻ってきた。
周りの人々が「良かったですね」とお祝いの言葉をかけると
「いや、このことが禍(わざわい)をもたらすかもしれない」と老人は言った。やがて老人の家は、馬が増え、老人の息子は馬に乗るのを好むようになったが、ある日落馬して腿の骨を折ってしまった。
周りの人々が「残念でしたね」と慰めると、
「いや、このことは福をもたらすかもしれない」と老人は言った。1年後、砦に異民族が攻め寄せてきた。
壮健な男たちは異民族と戦い、砦の近くに住んでいた者はほとんど戦死してしまった。
しかし、老人の息子は足が悪かったために徴兵されず、父子ともに生きながらえた。このように、不運が幸運になったり、幸運が不運になったり、不運と幸運は見定めがたく、その変化は予測できない。
出典:淮南子
これは私の座右の銘です。
高校生のときに読んだ本に影響を受け、以来この言葉が私の座右の銘となりました。
苦しい時やつらい出来事に遭ったときは、この言葉を思い出し、「この経験は近い将来起こる大きな喜びや幸せの呼び水なんだ」と、楽観的に考えるようにしました。