久方ぶりの新作を製作、掲載しました。
今回の新作はカレン族シルバーブレスレット/アンティークビーズ他計4点です。
このブレスに使われているアンティークビーズは7世紀後半に東南アジアに興ったシュリーヴィジャヤ王国時代のものです。
今日はこのシュリーヴィジャヤ王国について少し書きます。
カレン族シルバーブレスレット/アンティークビーズ#a05-66 – 永い眠りから覚めたビーズ。風化しながらも今尚美しい
シュリーヴィジャヤ王国は7世紀後半からスマトラ島を中心にしたマレー系の通商国家です。
当時は西にイスラム帝国、東に唐の2大帝国が誕生した時代です。統一国家の出現によって地域に安定がもたらされ交易を活発になりました。
商才に長けたマレー人たちは交通の要所であるマラッカ海峡を押さえることにより、東西貿易の中継基地として大いに栄えました。
貿易によってもたらされる富で力をつけたシュリーヴィジャヤ王国は次々に貿易港を支配下に置き、版図を急速に拡大します。
シュリーヴィジャヤ王国の首都パレンバンは、西からアラブ商人やインド商人が、東からは中国商人が集まる国際都市でした。
当時のパレンバンの遺構からはペルシアや中国の陶器、西アジア産のガラスビーズなどが多数見つかり、往時の様子を偲ばせます。
また最近の発掘調査によるとパレンバンでは数多くのガラスビーズを始め、ビーズの原材料とおぼしきもの、溶けたガラス、ガラス屑などが大量に発見されており、この地が交易用ビーズの一大生産地だったと考えられています。
シュリーヴィジャヤはインド文化圏にあり、当時ビーズ先進国であったインドからビーズを輸入するだけでなく、技術や職人の移動などがあったことは想像するに難くはありません。
シュリーヴィジャヤ王国は7世紀後半~9世紀が全盛期で、マレー半島、ジャワ島、ボルネオ島にまで支配地域を持っていましたが11世紀南インドのチョーラ朝の侵攻で衰退します。
シュリーヴィジャヤ王国は新興国家カンボジアのクメール王朝やタイのスコータイ王朝の属国となりながらも存続していましたが14世紀末ジャワ島のマジャパヒト王国の攻撃を受けて滅亡します。
マレー系のシュリーヴィジャヤ王国は栄光は数百年程でしたが、シュリーヴィジャヤのマレー商人たちは大きな遺産をひとつ残しました。
それはマレー語です。
東南アジア諸島は海や森で隔たれているため島や民族によって言語がまったく異なります。
そのため古くから交易共通語としてマレー語が使われてきました。
マレー語は東南アジア諸島の共通語となり、現在話し手の数では世界第5位に達する言語です。
インドネシアはオランダからの独立時に公用語としてマレー語を採択しました。
多民族国家であるインドネシアは島ごとに母語が異なり意思の疎通が非常に困難なためです。
インドネシアではインドネシア=マレー語を母語としているものは12%程に過ぎませんが、多民族国家をまとめる紐帯となっています。