台湾からの義援金が57億円を突破したそうです。 地震後、真っ先に始まったヤフー募金が13億円を超えたところなのでこの額の凄さが伝わるかもしれません。
台湾からの義援金57億円を突破、「大きな愛で積極的に」 – Yahoo!ニュース
99年に台湾を襲い、死者約2400人の大惨事となった台湾大地震の時、日本からの義援金は33億円が集まりました。この金額は世界の中でもダントツで、そのことに恩を感じている人が多かったようです。
今回の東日本大震災で今こそこの恩を返す時!と台湾中の思いが結集したようです。
台灣人踴躍捐輸 日媒體紛報導 – 中時電子報
台湾の人口は約2300万人、日本の人口の約18%程です。人口規模で考えると物凄いことです。
台湾大地震の時に義援金を送らなかったことが悔やまれます。
今回の台湾の大きな愛と支援に心から感謝します。
台湾は日本が思う以上に親近感を持ってくれています。
台湾の原住民族、高砂族の古老は日本語を今なお達者に話します。戦前に日本の教育を受けた世代の共通言語は今でも日本語です。
台湾で、若いタレントの女の子が高砂族の村を訪問するTVの番組を見たことがありますが、彼女達は中国語ではなく、片言の日本語で高砂族のお婆さんに話しかけていました。
高砂族の民族衣装をまとったお婆さんがきれいな日本語で返答するのを見て感慨深くなりました。
高砂族はかつて日本人として、日本のために命をかけて戦いました。
勇猛果敢、忠実忠義で知られた高砂義勇兵にはこんな感動的なエピソードがあります。
「・・・あの墓には、Bという高砂義勇隊員が眠っているのです。
高砂族に捧げる/中央公論社
ニューギニアの作戦の当初から、 われわれはBとともに戦ってきました。食料のない日が何日も続きました。
ある日、Bはずっと後方の兵站基地にさがって、食料を運ぶことになりました。 ところが、その次にBに出会った時には、Bは死んでいました。
五十キロの米をかついだまま、 Bはジャングルの中で飢え死にしていたのです。背中の米には一指もつけずに・・・・・・」
2004年、高砂族の女性頭目、周麗梅さんが戦死した高砂族兵士の慰霊のために建立した「台湾高砂義勇隊戦没者英霊記念碑」に撤去の危機が迫った時、日本から多くの義援金が集まり、撤去を間逃れました。
この時は私も微力ながらも義援金を送りました。
今回の台湾の惜しみない支援に改めて感謝するとともに、台湾と高砂族への恩義を決して忘れることなく、報いたいと思います。