ボーダー2

金を渡してしまったら、もちろん返ってはこない。
取られてたまるか、と思った私は、「なぜだ」
と尋ねる。
係員は、「おまえ達は書き忘れというミスを犯した。それはおまえ達の責任だ」
だからパキスタンルピーを出せ、と言う。
そんなバカな話があるか。
「おまえ達インド人の係員が、書く必要がない、と言ったから私は書かなかったのだ。ミスを犯したのはおまえ達の方だ」
と私は言い返す。
「だから、パキスタンルピーを出す必要はない」
私と一緒にいる日本人旅行者も、ここがふんばり所と言い返す。
しかし係員は、「そんなことは知らない。ここに書いていない金を出せ」
と言う。
彼らもここでがんばらなければ、私たちから金が取れないため、ねばる。
「書いてないことがそれほど問題ならば、今から書くから貸せ」
と私は係員から用紙を奪おうとする。
係員は、私に用紙を渡すまいとする。
用紙をつかんだ私は、おもいっきり引っ張った。
ビリッ!
用紙は2つに破れた。
皆の視線が、破れた用紙にそそがれる。
その場に沈黙が流れる。
「もういい、ゆけ」
と係員が言う。
私たちはインドを出国した。

パキスタン側に入った。
パキスタンに入国するため、私たちは入国窓口の男に話しかける。
「君たちを入国させてあげたいのだけれど」
と窓口の男は言う。
「ペンが無いから、手続きができない」
仕方なく、私は係員にペンを貸す。
私たちの手続きが終わった。
ペンを返してくれ、と言うと、係員は私たちの後ろからくる欧米人を指さして言う。 「彼らの入国ができなくなる」
そんなにペンが欲しいのか。
しかし、係員にペンをあげる義理など、私にはない。
「私は、彼らが入国できなくてもかまわない」
私はペンを取り戻し、次のチェックポイントへ向かう。
次のチェックポイントは、荷物検査だった。
係員は、私たちのバックパックを碌に調べもしない。
「OKだ」
と言って、係員は私たちに尋ねる。
「私への贈り物はあるか」
私は笑いながら、そんな物はない、とこたえる。
「そうか」
さみしそうにこたえる係員を背に、私たちはパキスタン入国を果たした。
国境を越えるのは、どうもめんどうくさい。

いとう某 22歳のとき初めて行った海外旅行で日本とは違う世界に衝撃を受ける。まだ見ぬ世界、自己の成長と可能性を求めて旅した国は、5年間で35ヶ国。思い出に残る旅はエヴェレストを見たヒマラヤトレッキング。

ボーダー1

ネパール、カトマンズ。
アジア横断の旅を目指す旅行者が私に教えてくれた。
「インド、パキスタン間の国境は最悪らしいですよ」
どのように最悪かと聞くと、国境警備の係員に持ち金をだまし取られるという。  その後も、私は何度か同じ話を聞いた。
日本の場合、出入国の管理官が旅行者の財産を狙うことはあまりないが、アジアでは公務員の特権とばかりに、それを行う者は少なくない。

私は、昨晩宿が一緒だった日本人旅行者と、インドのアムリトサルからバスに乗って、パキスタンに向かうべく、国境へ向かった。
国境が開く時間より早く到着してしまったので、私たちは両替を済ませ、国境が開くまでジュースを飲みながら待つことにした。
国境が開いた。
私たちは国境ゲートへ向かう。
ゲートでパスポートチェックがある。
係員が私たちのパスポートを見ながら、用紙に何か書き込んでいる。
書き終わった彼は、私たちにこう言った。
「1人5ドルずつ払え」
きたな。
私たちには、その心構えができている。
「そんな必要はない」
「先に通った西洋人が払っているのを見ただろ」
と係員は言う。
「見ていない」
その横をインド人が、係員に金を渡し、通り抜けてゆく。
インド人のさくらだ。
「ほら、皆払うだろ」
という係員から、私たちはパスポートを取り戻し、次のチェックポイントへ向かう。  もちろん1ルピーも払わない。

次のチェックポイントは建物内で、出国に必要な用紙への記入と荷物検査、所持している外貨を用紙に記入と、まともであった。
米ドルと日本円を書き込んだ私は、係員に聞いた。
「パキスタンルピーは書くのか」
インドでは、インドルピーを国外に持ち出すのは禁じられているため、私たちは国境手前の両替所で、インドルピーをパキスタンルピーに両替している。
それを書く必要があるのか、と係員に尋ねると、その必要はないという。
私たちは、次のチェックポイントへ進んだ。

次のチェックポイントは何事もなく通れた。
問題があったのは、その次のチェックポイントだった。
屋外に一組の机と椅子があり、若い係員たちが大勢待ち構えている。
いかにも何かありそうだ。
外貨を記入した用紙を渡せというので、彼らにそれを渡す。
もったいぶった様子で、ひとりの男がその用紙を眺める。
「インドルピーを持っているか」
「持っていない」
もし持っていたら、ここで没収される。
「日本円と米ドルを持っているのか」
「持っている」
隠すことではない。
「パキスタンルピーは」
「持っている」
と言うと、係員はこう言った。
「それは問題だ。この用紙には書かれていない」
係員は私たちに、パキスタンルピーを没収する、と言う。

いとう某 22歳のとき初めて行った海外旅行で日本とは違う世界に衝撃を受ける。まだ見ぬ世界、自己の成長と可能性を求めて旅した国は、5年間で35ヶ国。思い出に残る旅はエヴェレストを見たヒマラヤトレッキング。

空中散歩

地球の上に寝っ転がって

山々の上をふわふわ歩く

遠まきに万里の長城を眺め

おれの方が高くにいるぜ 

と得意気になる

かん高く

とぎれとぎれに鳴きながら

尾の長い極彩色の小鳥がはばたいてゆく

おれは腕まくらで ゆったりと眺めてやるんだ

さんさんと降り注ぐ陽光に

澄んだ青空

山々の緑は深緑

いっぴきのてんとう虫がとんできた

だいだいの点点が

うるし塗りのおわんのようだ

ゆっくりとなめらかに輝いている

ひざ小僧のうえでコソコソカサカサ動いている

よっぽど気に入ったのか

ちょっとぐらい動いても ちっとも逃げようとしやしない

そんな動きをみつめつつ

フワフワフワフワ浮いていく

空中散歩

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

固定観念

新聞やTVのニュース、ガイドブックなどで、私はおとずれたことのない海外の国々をイメージしてみたりする。
それらの国々を旅する前は、日本で仕入れられる情報だけで、私はその国を理解しているつもりでいた。
しかし、それらの国々を旅してみると、イメージと違う現実にぶつかることが多々ある。
もちろん、私以外の旅行者も。

エジプト、ダハブの町。
アカバ湾に面するこの町の浜辺には、カフェやレストランが並んでいる。
夜、私たち5人は、砂浜にじゅうたんを敷いた一件のカフェでお茶を飲んでいた。
その中のひとり、スキンヘッドに筋肉ムキムキのスウェーデン人男性が言う。
「俺はこれまで、シリアという国は危険な国だと思っていた」
彼は丸太の様な腕をぐるぐる回しながら話す。
「なぜならば、TVやニュースがそう言っていたからだ」
彼は首から上を回しはじめた。
身体を動かしていないと話せないらしい。
「しかし、目の前にある現実は違った」
彼は人差し指で右目を指す。
「シリアはスウェーデンより安全で、シリア人はスウェーデン人より親切だ」
彼は、彼のイメージと現実の違いに興奮している。

これは余談だが、私がヨルダンのアンマンで日本大使館に行ったとき、このような張り紙がしてあった。
日本人旅行者がシリアの風紀を乱すため、(日本人旅行者は)ここではシリアのビザは取れません、と。
シリア人から見たら、日本人旅行者は風紀を乱す存在なのだ。

私も、スウェーデン人の彼がシリアで感じたことを、チュニジアで感じた。
チュニジア、チュニスのユースホステルでのこと。
私は、日本人学生と2人のアルジェリア人と同室だった。
アルジェリア。
私のこの国のイメージは、外務省の家族等退避勧告、外国人を狙ったテロ事件の連続発生。
数年前に日本企業が発表した、世界で最も危険な国の1位。
エジプトで大勢の日本人が撃ち殺されたことを思いおこさせる、イスラム原理主義、外国人皆殺し。
私はそのイメージもあって、彼らアルジェリア人とあまり親しめなかった。
ある日、時間を持て余していた私は、ユースのベッドに寝転がり、聖書を読んでいた。
私は、クリスチャンである。
そこに、彼らアルジェリア人が帰ってきた。
「なにを読んでいるのだい」
私は、聖書とこたえる。
「君はクリスチャンか、僕はムスリムだ」
教えてもらわなくても解かっていたが、私はふむふむと彼の話を聞く。
知っているか、と言ってから、つづけて彼はこう言った。
「キリスト教とイスラム教は、元は同じ宗教だ」
彼はそう言って、握手を求めてきた。

彼の言っていることは歴史的事実である。
何も特別なことではない。
しかし、ユダヤの神以外は神と認めようとしないユダヤ人、お互いを認めないカトリックにプロテスタント、キリスト教徒を敵視するイスラム教徒、元は同じであるはずの宗教を信じる人間同士が憎みあう様子を、私はいくつかの国で見てきた。
私のイメージの中では、最もイスラム原理主義が強い国の人間から、この様な言葉を聞くとは思わなかった。
私の固定観念が、またひとつ壊れた。

いとう某 22歳のとき初めて行った海外旅行で日本とは違う世界に衝撃を受ける。まだ見ぬ世界、自己の成長と可能性を求めて旅した国は、5年間で35ヶ国。思い出に残る旅はエヴェレストを見たヒマラヤトレッキング。

カンボジアの印象

灰色の街プノンペン
とても埃っぽい街だ
容赦なく照りつける残酷な太陽に
南国の果物の腐った匂いが漂う
壊れた建物
この街はどこか死んでいる
アンコールワットは石のお寺だ
ジャングルの中にある
松ぼっくりみたいな屋根をもつ
クメールの微笑といわれる
独特の顔がいくつもある
何やら満足気な面持ちだ
あんまり人気のないところへ行くと
地雷があるので気をつけろという
ちょっと人気がなくなると冷やりとする
何せ蚊が多い
シャワーを浴びるのも
 トイレに行くのも
蚊取り線香が要る
何匹かはマラリアを持っている
銃声が聞こえたときは
さすがに具体的に考えた
色んなことを
ゲリが止まらない
水のようなのがいちにちに10回くらい出る
ここまで出ると体がきれいになったような気がする
カンボジア人は虫を喰う
コオロギを揚げて喰う
「グッド」
とか言って
オレに明るい笑顔をみせてくる
カンボジアの人達はこんな風に笑う

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

白サギ

沼の水面も
夕暮れどきには朱に染まる
虫の声と風にそよぐかすかな草の音
一羽の白サギが
その細いつまようじみたいな右足を
つるりと一本溶け込ますと
水面は溶けた金属のように
ゆっくりと ゆさぶりながら
波紋を広げた

オレンジや赤や紫の混ざった薄っぺらい空をバックに
たった一羽で
ゆっくりと ゆっくりと
そんな作業をしている

日の暮れる前のほんのわずかな時間に
オレがバスで通り過ぎる瞬間に
そいつはそんなことをしていやがった

ハッと
オレがあんまり急に振り返ったものだから
となりのおっさんを驚かせてしまった

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

昼寝

菩提樹の下でボーッとする
菩提樹のハッパの隙間から
青空がこぼれる
となりに座るチベットの坊さんからは バター茶の香り

久しぶりの気分になる
ふいに坊さんが お経をあげ始める
アクビをひとつ
思わずほほえむ
おシャカさんも きっとほほえんだだろう
チベットのお経がきこえる
オレはあの人たちの あの深い赤紫色の袈裟が好き
いい色だ

ここは空気の流れが ゆるやかなような気がする
目を閉じてボーッとする
何だか落ち着いた 幸せな気分
昨日からのハラの痛みも消えたような・・・
・・・気がしただけか
ときどき上を向いて言葉を探す
目を閉じると眠ってしまいそう
かろやかに
リスが走ってった
人間臭さがいやだった
そうなるのが怖かった
でも今はちょっと違う
浅ましく泥くさく生きている人達をたくさんみた
自分勝手に
一生懸命
ある種 神々しさを感じた
オレがオレの街でオレの国で感じたことのないものだった それは
となりのチベットの坊さんは 目を閉じ 眉間にシワをよせ 深い瞑想に入った
それか寝てんのか
確かにここは 昼寝すんのにはもってこいの場所だ
オレも 瞑想のふりして
昼寝したい気分になった

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

朝日

やさしい日射しのなかでも

しとしと降る雨の中でも
ガートが水没しても
干上がっても
知らん顔でガンガーは毎日、南から北へ
今日は暖かいから人が多い
色んな色がガートに映える
あっ、あと、音もね
洗濯する音とか
プジャーの鐘の音とかね
何もない対岸は霧にかすむ
白い砂浜が広がっとんだよ 
行ったことあるかい?

とんびがゆうぜんと、頭の上を飛んでいった
ゆったりと
ゆうぜんと
ああ、そうだ
何と今日、オレ、イルカみたんだよ、イルカ
ガンガー泳ぐ
イルカおるんだよ
知っとった?
死体も浮かんでるってよ
オレは見たことないけど
プカプカ浮いてるらしいよ
ああ。
あと、もっとスゲェのもあるよ 

対岸でね、
赤ン坊の死体の足をね、
犬がね、ノラ犬だよ、
それがさ、
ムシャムシャくってんのをさ、
トモダチが見たんだってさ
スゲェハナシだよね
オレはオレで火葬場にたどりついて
人が焼かれてんのみたよ
棒きれで、よく燃えるように生焼けの頭こづいとった
ぐったりした、力のない動きだった
しばらくみてたら熱いのと目ぇ痛ぇのとで、15分くらいで降参しちまったけどね 
この間、ずっと見れなかった朝日をね、
ようやく見れたんだ
さいごのさいごでね
霧がきれいに晴れて、
でっけぇ太陽が昇ってくると、
空がまっ赤になるんだ
ガンガーもあんな汚ねぇのに、
赤く染まるんだ
すげぇんだぜ
思わずしんみりしちまう
太陽を浴びながらみんな、お祈りしたり、顔を洗ったり、洗濯したり、船をこいだりしてるんだ
オレは、そんなのみれて本当によかった、
と思うんだよ

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

チップ2

注文は、と聞かれ、何があるの、と尋ねる。
「マルゲリータとマリナーラ」
Mには、この2種類しかない。
よほど味に自信があるのだろう。
私は、マルゲリータを注文する。
私の目の前で、店員さんがピッツァの生地をくるくる回す。
生地が出来ると、刻んだトマトをのせる。
チーズをぱらぱらと振り、バジルをのせる。
オリーブ油をかけたら、あとは釜で焼くだけ。
簡単だ。見ていてそう思う。
マルゲリータが出てきた。
ひとくち食べてみる。
「うまい」
私は幸せを感じる。

このMという店は何故か、日によって味が違う。
私はナポリ滞在中、4度Mでピッツァを食べたのだが、2度はおいしく、2度はふつうだった。
おいしかった2度のうちの1度は、私の人生で最高のピッツァだった。

その最高のピッツァを食べた日。
夢中になってピッツァを平らげた私に、店員が声をかけてきた。
「ボーノか」
「最高にボーノだ」
興奮した私はこたえる。
「良かったら、チップを払っていってくれないか」
何、と貧乏旅行者の私は、その言葉に反応してしまった。
いま思い出しても赤面してしまう言葉を、私は店内に響き渡る声で怒鳴る。
「俺は何度かこの店に来たが、そんなことを言われたのは初めてだ」
私は、誰もいないレジカウンターに、食べた分だけのお金をたたきつけて店をでた。
しかも、厚顔な私は、翌日もMにピッツァを食べにいき、またもチップを無視して店をでている。

数日後、アッシジのユースで、ローマでも宿が一緒だった女性に会った。
聞くと、私にすすめられたMにピッツァを食べにいったという。
レシートを見せてもらうと、私が行ったときには無かったサービス料が含まれている。
ああ、多分私のせいだ。

Mのピッツァはとても良心的な値段だと思う。
マルゲリータもマリナーラも5000リラ(約400円)と安い。
結構従業員のいるMは、その収入をチップに頼るところもあったのだろう。
初めのうちは、チップを払わない私に、店のピッツァが気に入らなかったのかと思って何も言わなかったのだろうが、何度か店に足を運ぶので、チップを忘れていると思ったのだろう。
店員に悪意はなかったと思う。
悪いことをした。

Mのような店の場合、高い満足度と安い料金の差を埋めるためのチップという習慣は、ステキな習慣だと思う。
もし、またMに行く機会があったら、今度はサービス料とは別にチップも払おうと思っている。
ステキな習慣をつぶしてしまった、せめてものおわびと、最高のピッツァを食べさせてくれたお礼に。

いとう某 22歳のとき初めて行った海外旅行で日本とは違う世界に衝撃を受ける。まだ見ぬ世界、自己の成長と可能性を求めて旅した国は、5年間で35ヶ国。思い出に残る旅はエヴェレストを見たヒマラヤトレッキング。

チップ1

一通の暑中見舞が届いた。
以前、イタリアのナポリで知りあった女性からのものだった。
彼女は、夏休みをとって、友人たちと2週間ほどイタリアを旅行したとある。
絵葉書の縁にこう書いてあった。
Mのピザもあいかわらずうまかった!
Mは、ナポリでおいしくて有名な、ピッツェリアの名前である。

私はナポリで会った学生さんに、ピザではなく、ピッツァだと教えられた。
だから、ここではピザではなく、ピッツァと書く。

ピッツァ、私の大好物である。
しかし、日本ではあまり食べない。
数年前のイタリアのソレントで、おいしいピッツァを食べて以来、日本でピッツァが食べられなくなってしまったからだ。
それぐらい、イタリア南部のピッツァはおいしい。

私は、女性にだけ優しいナポリ駅のインフォメーションの親父とけんかした後、あやしい客引きに声をかけられた。
彼は、見かけと違い優しくて、私に一件の安宿を教えてくれた。
その宿を紹介しても、彼のもうけにはならないらしく、案内まではしてくれない。
地図を書いてもらい、さっそく行ってみる。
よく解からなかったので、広場で商売をしているおじちゃんに聞いてみる。
おじちゃんは、宿の前まで連れて行ってくれた。
教えてもらった宿と違うようだが、泊まることにした。

私は、ナポリにピッツァを食べるためだけに来た。
ナポリのうまいピッツェリアを知るには、ナポリの人間に聞くのが一番と、レセプションの兄ちゃんに尋ねる。
「とてもおいしいピッツェリアがある」
と兄ちゃんはいう。
「Mだ」
兄ちゃんは地図に場所を書き込んでくれた。
「他には」
と私は尋ねる。
「ナポリでピッツェリアと呼べるのは、Mだけだ」
私はさっそく、Mに行ってみることにする。

場所がよく解からない。
屋台のおじちゃんに聞いてみる。
「Mのピッツァはボーノ(おいしい)だ」
場所を教えてほしいのだけど、というと、おじちゃんは、親切に指をさして教えてくれた。

すごい大勢の人だ。
土曜日の昼だからだろうか、30人以上の客が、店の外でピッツァが焼きあがるのを待っている。
並ぶのが苦手な私は、あきらめて夜行くことにする。

すこし早すぎたようだ。
店はまだ、掃除がおわったばかりらしく、椅子がすべてテーブルの上にのっている。  入店をためらう私に、店員が席をすすめてくれた。
店員たちが一口のカフェを飲んでいる。
「飲むか」
店員のひとりが、私にカフェをすすめてくれた。
飲んでみると、アルコールが入っているようだ。
仕事前の一杯なのだろう。
良い店じゃないか。
カフェ一杯で、そんなことを思ってみたりする。

いとう某 22歳のとき初めて行った海外旅行で日本とは違う世界に衝撃を受ける。まだ見ぬ世界、自己の成長と可能性を求めて旅した国は、5年間で35ヶ国。思い出に残る旅はエヴェレストを見たヒマラヤトレッキング。