智は、それまで全く興味のなかった、キャメルサファリに出かけることにした。それは宿のインド人達がしつこく付きまとってくるというせいもあったが、やはり、理見と一希の一件が頭から離れなかったからだろう、無意識の内に智は気分転換を図っていたのかも知れない。
初めて間近で見るラクダはさすがに大きかった。そしてその生き物は、極めて自己中心的に己だけの世界に没頭しているかのように見えた。眠そうな瞼の下から覗くその瞳の鈍い輝きは、とても智の存在を認知しているようには思えなかった。そのせいか智は、ラクダに乗ること自体に抵抗も恐怖も無く、意外にすんなりとその数日間を過ごすことができたのだが、しかし、ラクダよりもむしろそれを操っている老人の方に辟易させられた。出発して早々、以前ガイドした日本人はこんなにいい物をくれただの、幾らくれただの、金や物の催促をえんえんと繰り返すのだった。老人の格好を良く見てみると、恐らくそれも旅行者から貰った物なのだろう、ターバン姿の砂漠の民にはおよそ不釣り合いな真っ白いスニーカーを履いていた。
何もない見渡す限りの土漠の果てを眺めながら、ラクダの歩む単調なリズムに乗って、まるで終わることのない念仏のように金の話を聞かされ続ける。智は、ラクダの背にまたがった十分後にはこのキャメルサファリという二泊三日の小旅行に出てしまったことを、激しく後悔していた。ほぼ真上から照らしつける真っ白な太陽熱線は容赦なく地上を焦がし、このように何もない砂漠の上ではそれから逃れられる術は何もなく、智は、どうすることもできないままラクダの背の上で太陽を浴び続ける。流れ落ちていく汗はすぐさま乾いて蒸発し、そのせいで肌は白っぽく塩化する。智は、もう金はいらないから帰らせてくれ、と言おうとしたが、智の心が何故かそれを思い留まらせた。もしかするとそれは、一度向き合った困難な状況を乗り越えずに回避してしまうことへの脅迫的な恐れの感情、言ってみれば智の旅に対する向き合い方や、智の旅自体をも否定してしまうことに繋がりかねなかったからかも知れない。それにもし仮に今帰ったとしても、あの穴蔵のようなジャイサルメールの宿でたった一人、何の目的もなく過ごさねばならず、その状況は、自動的に、来る保証の何も無い理見の到来を期待させることだろう。そんな辛い状況よりは、まだこのキャメルサファリの方がましな筈だった。
智を乗せたラクダは、ただひたすらに、命ぜられるがまま歩き続ける。ラクダ遣いの老人は、時折、ピシッ、ピシッ、と鞭を打ち、口の奥の方で鳴らす、ギギギッ、ギギギッ、という特殊な音でラクダを操る。そしてそれらの音だけが、ラクダの刻む単調なリズムと共に、広大な土漠の上へと広がっていく。それが何の変化も無く延々と続く。
智は、揺れる視界の中で再び理見と一希のことを思い出し始めていた。紡ぎ出されていくイメージは徐々に智を取り込んでいき、そして智の周りに広がっている現実世界はどんどん意味を失っていく。智は、暑さもラクダの臭気も感じずに、ただ、イメージの世界へと没頭していった。今や捨てがたいものとなっている理見ヘの憧憬、一希に対する強烈な嫉妬心、劣等感、どうすることもできない、否定しようのない、視界に焼き付いた光景……ベッドに埋もれた理見の白く光る肉体、空ろな眼差し、笑い声……、妄想は膨張し、二つの絡み合う火照った肉体を思い出させる……。