バナナボートに、銀の月夜

バナナ・パンケーキ、なんて、つまらない食べ物がある。
ホットケーキよりももっと簡単な生地に、バナナを放り込んで焼いただけの簡単な食べ物。
それにはちみつなんか塗って食べる。

長くアジアの発展途上国を旅していると、極端に甘いものが恋しくなるときがある。
それもただ甘いお菓子なんかじゃなくって、もっとこう、西洋的な甘味。
チョコレートだとか、ケーキだとか、そんなの。
一応それらの国々にもあるにはあるのだが、それがまた極端にマズイ。
きっとそれ作ってる人達がおいしいの食べたことないからだと思うんだけど、本当にマズイ。
味がドギツイというか………。
根本から間違っているというか………。

バナナ・パンケーキってのは、不思議とどこの国のツーリストレストランでもメニューにあって、先程述べたように簡単な食べ物だから味もそんなに変わらない。どこで食べても一緒。
でも、これがなかなかいけるのだ。一応,ケーキっていう名前だし、西洋的な甘味としては全く不十分ではあるが、代用品としてはそこそこの線を行っている。
今食べても決しておいしくないのは明らかなんだけど、そういう状況下ではとってもおいしく感じられてしまうんだ、くやしいけど、飢えてると。

甘味っていうのは、とてもセクシュアルなものだと思う。

インドかなんかの山の中の掘っ建て小屋のようなレストランで、はちみつのたっぷりかかった、バナナ・パンケーキを一口かじる。
舌を差すような甘味と、バナナの食感と、生地のふわふわが口の中で混ざり合って、頭のてっぺんを直接刺激する。
とろりとした甘い感覚が徐々に降りてきて、全身の力が抜ける。
もう、失神しちゃう。

何日も何日も甘いものが食べられなくって、食べられなくって、飢えに飢えてようやく、口にする一切れのケーキ。
そういえばチベットにいた頃なんて、茶色の不毛の大地がチョコレートパウダー振ったティラミスの表面に見えて仕方なくって、頭からクリームのなかに突っ込んで、窒息してしまいたかったよ。
欲しくって欲しくって欲しくって欲しくって、でも手に入らない、手に入らない、どうしても手に入らない。
まるで女の子にふられて、身悶えするような感じ。
そんなのに似てるなあ。
決定的にふられたのは分かってるんだけど、どうしてもその子の影がちらついて………。

ああ、バナナ・ボートに銀の月夜で、そして、君がいてくれたら。
君さえ、いてくれればなあ………。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

ベトナムの雨

全く関係がなさそうで不釣り合いにみえるものが一緒になって醸し出す絶妙なハーモニーというものが世の中にはたまにある。

もうずいぶん前に、「夏至」という映画を見た。ベトナムを舞台にしたものだ。ベトナミーズ・アメリカンの監督が撮った映画。

内容は特に憶えていないのだが、映像がとてもきれいで、アメリカ育ちのベトナム人監督だからこそ感じとれるであろう、洗練された、客観的なベトナムがうまく表現されている。

アジア的なものと、それとはまるで正反対の欧米的なものが混ざり合うと、まれに、全く新しいスタイルのものが生まれることがある。
それは斬新で,一歩先ゆく文化だと思う。
「夏至」に関していえば、音楽だ。

ルー・リードというニューヨーク・アンダーグラウンドカルチャー界のカリスマがいる。
彼は昔、その名も、ベルベット・アンダーグラウンド、というアンダーグラウンド・バンドを率い、60年代後半のニューヨーク・ポップカルチャーの中心的人物、アンディー・ウォーホールとともに時代を牽引した。当時の多くの奇抜なフリークス達が、時代の波とともに淘汰されていくのを尻目に彼は生き残り、ソロとして活動を続けた。

ルー・リードは低い声で囁くように歌う。
バンド時代の暴力的で破壊的なサウンドは身を潜め、穏やかな調子でしっとりと歌う。

「夏至」には、その彼の曲が使われていた。
特に雨のシーンに何曲か ――

ベトナムはよく雨が降る。
ぼくがいたときはちょうど雨期の真只中だったため、毎日毎日四六時中雨が降り、じとじとじとじとしていた。
当然、何をやる気もきれいさっぱり消え失せ、ダニに噛まれた手や足をぼりぼり掻きながら一日中、何をするわけでもなく、湿ったふとんの上でごろごろごろごろしていた。

そんなベトナムの雨のシーンにルー・リードの低く、湿った歌声がゆっくりと流れるのだ。
ベトナムとルー・リードなんて一見、食い合わせの悪い食べ物みたいな関係で、ぼくのような平凡な感性の持ち主には到底思い浮かぶべくもなかったのだが、実際それらはとてもよく調和して、まるでルー・リードは最初からベトナムの雨を想って歌っているかのように思える程だった。
なんともいえないけだるい感じ。
ベトナムの雨と湿気は、人間から全ての気力と活力とを奪い去る。寝ころんだまま、動きたくなくなる。
もう,一生寝ころんでいたくなる。
そうやって寝ころんでいる所に、ルー・リードの湿っぽい歌声は汗や湿気を通り抜け、全身にすらすらと染み込んでいく。
ブウン、ブウン、と蒸れた空気をかき回す、くたびれた扇風機。
退屈な午後。
湿っぽい、暑さ。
そして雨音。

最初からこのことを歌ってたんじゃないの?
というぐらいぴったりだった。

何か、クールだね。
まるで正反対の文化が融合して全く違ったものになる。
化学反応でも起こすのかな?
世界中のそういった組み合わせを発見して、組み合わせていけたら、新しいものがいっぱいできそう。
それって、グローバルってことなんではないだろうか。
ゾクゾクする。

「夏至」で描かれていた風景は、確かにベトナムだったのだが、同時に、ベトナムではなかった。実際ぼくが行って、見た、ベトナムの印象はあんなものではなかった。
もっとリアリティに溢れ、地に足の着いたものだった。

ただ、印象としてはものすごくよく分かる。
ああだった。
一日中動きたくなくなるような、倦怠の雨。
怠惰な時間。
湿った空気に溺れるように、体を横たえる。
ルー・リードの歌声。
全てを放棄したくなるような、退廃的な時間。
艶っぽくって危険な香りが漂っていた。

ああ、ベトナムの雨。
湿っぽい空気。
うだるような、暑さ。

雨の日の今日、ルー・リードを聴きながら、ちょっとベトナムのことなんて思い出してみる………

doot do doot do doot do doot………

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

アザーンの聴こえる、朝

パキスタンに入って初めて知ったんだけど、イスラムの国ではどこの街でも大体一日に何回か決まった時間に、何処ぞやのモスクからアザーンが聞こえてくる。
アザーンっていうのは、お祈りね。
拡声器かなんかでそれを大きな音で流すんだ。

 
  ――アッラー,アクバル――

で始まって、何分かそれが続くんだ。
アッラーっていうのは「神様」ってことで、アクバルっていうのは「偉大」ってことらしい。
要するに、「神は偉大である」、ってことを言っているのだ。

パキスタンの北の方、ギルギットっていう小さな町には日本人の集まる有名なゲストハウスがあって、オレがそこにいたときにはクレイジーで面白い奴らがたくさんいた。
だからついつい長居しちゃって。
毎日毎日、ドラッグ三昧。明け方までケタケタ笑ってた。
ある日オレは、ついつい調子に乗っちゃって、一日中、鼻から口から色んなもの吸い込みまくって、夜が更ける頃には意識不明でブッ倒れてた。わけ分かんない。
次の日起きたら、スッゲェ体調悪ぃのなんのって。
これまた一日ブッ倒れるはめになってたね。

自分では気付いてなかったんだけど、部屋をシェアしてた奴が言うにはその晩、眠ってる間に何回も起き上がって、げぇげぇげぇげぇやってたんだって。
とても苦しそうだったという。
でも、明け方アザーンが聞こえてくると、だんだんと落ち着きを取り戻し、再び安らかな眠りについたという。

それからかな。アザーンが苦にならなくなったのは。
それまでは、気になって気になってしょうがなかったんだ。
うるさいから。
でも、よくよく聞いてみると、そんなに悪いものでもないらしい。
特に夕方、寂れた町に響くその声は、砂漠に沈む大きな夕日やその色彩にぴったりでそれは、永遠という言葉に最も近い風景の内の一つ、なんじゃないのかな、なんて思った。穏やかな気分になれる。
オレの苦しみも鎮静されるわけだ。

もうしばらく聞いてないなあ。
たまにテレビなんかでアザーンの鳴ってるのや、イスラムの人達がゆっくりとひれ伏してお祈りしてるのなんか見ると、懐かしいなあと思う。
時間がゆっくり流れているようで、好きなんだ。
毎日に、ちょっとでも日常から離れられるそういう時間があれば、大分違うだろうにね。
そんなにピリピリしなくってもいいかもよ。

夕暮れの帰り道、どこからかアザーンが聞こえてきて、公園のベンチかなんかでちょっと一息。缶コーヒーなんか飲みながら。
目を閉じて。
何にも考えずに。

一日に五分でも十分でも、そんな時間があったら素敵かも。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

満月と、アンコールワットと

もう何年も前のことになるんだけれど、カンボジアという国へアンコールワットという石のお寺を見に行った。

千年も前に建てられた仏教寺院。
ジャングルの中に、まるで時間なんて何も関係ないみたいに、永遠に存在し続ける。
朝も。昼も。夜も。
松ぼっくりみたいな三本の塔の上を太陽は昇っては沈み、沈んでは昇る。
月も。
星とともに、その灰色の建築を銀の光で照らしだす。
寺は、重たい森林の空気を膝もとにたたえ、さんさんと月光を浴び続ける。

カンボジアという国は、政治が腐っているから、金で買えないものなんて何もなく、嘘か本当か分からないような残酷な噂が、いくつもいくつも囁かれるようなそんな国だから、警察だってお金をあげれば簡単に動かせる。

もともとバックパック背負って旅行してるやつらなんて不逞の徒ばかりなんだから、そういった恩恵にはことさらめざとく、早速その晩ポリスにお金を握らせて、夜のアンコールワットに忍び込んだ。
みんなで50ドルぐらい集めたらポリスの奴もう上機嫌で、持ってたAKライフルなんかも簡単に貸してくれて、仲間のひとりがふざけて銃口をこっちへ向けてくるのでさすがにそれには肝を冷やして、やめろ、って怒ってやったよ。

昼間あんなにいた、観光客なんてひとりもいない夜のアンコールワットはぼく達だけのものだった。
ひっそりと冷たい夜のとばりに包まれて、静かに月光と星の光を浴びている。そんな風にしていると、月や星の光は粒子によって構成されている、と、思わずにはいられない。一定のリズムで、何かを浴びているような感じがするからだ。静かで穏やかな気持ちになっていく………

その晩はちょうど満月で、アンコールワットの屋根のてっぺんにまんまるでざらざらの月が白く輝いていた。
湿った夜風が吹く度に、木々がざわめく。
ぼくらの心も同じようにざわめいた。
昔、夜の学校に忍び込んだときのことを思い出したりして。
楽しかったな。
仲間と秘密を共有したときの、わくわくするような連帯感。

宿に帰って、みんな酔っぱらって、さっきの光景を思い返した。
夜のアンコールワットを。満月の光に照らし出されたアンコールワットを。
最高の肴だよね、ほんと、贅沢な。
ああ、またあんな光景を前に一杯やってみたいもんだな。

目を閉じれば思い出す。
満月と、アンコールワットと。
木々のざわめきと、あのときの仲間たち。
今となっては、遠い思い出。
そんなこともあったよなあ………

………なんて。

変に年寄りくさくなったもんだ。
やだやだ。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

NIRVANA

ひとりぼっちの秋、中国東北部紅い夕日の沈む淋しい裏通りをひとりぼっちで歩いた。

『NIRVANA』というバンドがある。
もう何年も前に解散したバンドだ。
カート・コバーンというボーカリストがいた。
“グランジ”というロック・ムーブメントの火付け役となった人だ。
ぼろぼろのジーンズを履いて、髪は何日も洗っていないような長髪、酔っぱらったようにふらつきながらギターを弾き、叫ぶようにして歌う。
カート・コバーンはショットガンで頭を吹き飛ばして自殺して死んだ。
彼の存在無くしては「NIRVANA」は存続しえず、その死によって必然的にバンドは解散した。

最初の内はそんなに好きなわけではなかったんだ。
むしろ嫌いだった。
なんだ、こんなの。うるさいだけじゃん、なんて思ってたし。
でも当時、ちょっとしたクラブなんかに行けば必ずニルヴァーナの曲はかかっていたし、CD屋に行ったって彼らのアルバムはいやという程目に入ってきた。
だから、個人的に気に入って聴いていなくたって自然と憶えてしまったし、ヒットした曲なら大体知っていた。フレーズとか。
まあ、そんな風に刷り込まれていたんだよ。

旅行中はとにかく寂しかった。
不安だったし、そのせいで体調を崩したりもした。
初めのうちはずっと微熱が下がらずに四六時中、ふらふらふらふら眩暈がして、食欲もなくって、何を食べても味気なく、なにもかもがざらざらしていた。おまけに何か食べるたびに気持が悪くなって、あんまりひどいと食べたものを戻したりもしていた。
全部、一人でいることによる不安や寂しさから来るものだったのだと思う。
それぐらい寂しかった。

それから4、5か月後の中国にいたころにはそんな旅にも大分慣れていて、痩せた体も元に戻りつつあったものの、秋の中国東北部の景色はすべてが茶色で、沈む夕日があんまり大きくて、大気はこれから訪れる烈しい冬の季節を予感させる程張りつめて身を切るぐらいに透明で、どうしたって寂しい気分にならないわけには行かなかったんだ。
生まれ育った故郷や、子供の頃の記憶が自然と目に浮かぶ………

一言でいうと、ニルヴァーナは孤独を歌い上げていた。
その破壊的なサウンドの裏には、極端に傷つきやすい感性と、絶望的に救いようのない深い孤独が潜んでいた、と、思う。

ぼくはそんなに好きではなかったはずのニルヴァーナのカセットテープを、中国東北部の裏町の寂れたレコード屋で偶然見つけだし、何故だかそれを買ってしまった。そしてそれからその後、狂ったように聴きはじめるのだった。
ホテルの部屋で一人でいた夜、ベッドの上に寝っ転がって何をすることもなく、一晩中それを聴いていた。
自殺した、カート・コバーンのかすれた歌声がやけにぼくの胸に染みわたった。

それ以来ぼくはニルヴァーナに取り憑かれている。
“ニルヴァーナ”とは仏教用語でいう”涅槃”のことだ。
涅槃とは釈尊の死。
仏教における理想の境地。
煩悩の消え去った、絶対自由の状態 ―――

ああ、秋の中国東北部は何であんなにも寂しい風景なのだろう。
ぼくの胸に眠っていた様々な思い出を引っ張りだす。
それは死ぬ前に見るみたいな風景。
すべてが明るく、輝きながらまわりだす。
ひとりだったあのころ。
ひとりではなかったあのころ。
みんな美しい。
こんなにもあたたかく、ぼくは羽毛に包まれたみたいに安らかだ。
お別れは,とても寂しい。
去っていってしまうのはとても寂しい。
死んでしまうのは、とても寂しいことなのだ。

ぼくは今でもニルヴァーナを聴いている。
あれから大分たったけど、あのときの感覚は消えていないのだろう、聴いていると今でも何となくあの風景が甦ってくる。
ひとりでいたあのころの。

孤独は消えない。
寂しさは決して無くならない。
絶望的にかなしい孤独を、人は一生生きねばならぬ。
だから、せめて、信じる心を、愛を、信じる心を。

死んでしまった、カート・コバーンのかなしい孤独を思うと、胸が痛む。
せめて,彼の魂が安らかであるように。
苦しみの少ない、穏やかな世界にいるように………。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

ライターの石

ライターには、火をつけるときにパチッと火花を飛ばすための小さな石が組み込まれている。
電子式で、ないやつもあるけど。
大体入っていると思う。
その石は使っていくにつれ、削れて小さくなっていくので最終的には無くなってしまい、火がつけられなくなるという事態が発生する。
高級なライターだったら、交換用の石に取り替えてまた使い続けることが可能なのだが、いわゆる百円ライターのような安物だったら構造上簡単に交換などできないため、ポイッと捨てられてしまうのだ。
使い捨てライターと言われるゆえんだ。

どこが最初だったかな。
初めて百円ライターの石を交換したのは。
ネパールだったと思う。
そう。
取り替えてくれるんだ。
使い捨てライターの石を。
路上にそんな店があって、店といってもただおっさんがそれ用の道具を並べて座ってるだけなんだけど、何ルピーかで石を補充してくれるんだ。
そして百円ライターはまた使えるようになる。

あ、忘れてたけど、その店ではガスも入れてくれるんだ。
したがってライターは、外側のプラスチックが割れたりしない限り、半永久的に使えることになる。
これにはさすがに驚いた。
百円ライターなんて、いつも使い切る前にどこかにやってしまい、最後まで使ったことなんて一度もなかったんだから。

今思えばおかしな話だけど、そのときはそんな百円ライターに愛着さえ憶えてずっと使い続けていたもんだ。

百円ライターだって、使おうと思えばずっと使い続けられる。
小さなことだけど、ぼくにとってそれは新たな発見だった。
だって、わざわざ買い替えるよりその方がいいじゃん。
今流行りのエコロジーの観点から見ても。
ちょっと不便になるだけで、我慢できない程ではない。

思うんだけど、世の中無駄な循環が多すぎやしないかい?
いらないものが多すぎない?

人間の欲望というものは、尽きることを知らない。
果てしなく続く。
恐ろしいね。
ぼくは自分の中にその片鱗を見い出したとき、その果てしない欲望の深さに、身震いしてしまう程なんだ。
恐ろしいね。
突き詰めていったらキリがない。
どこかで我慢しなくちゃならない。

その欲望というものを追求し過ぎて疲弊しているのが、今の日本の状況だと思うんだ。
だから、日本の路上にもライターの石替え屋さんがいてもいいと思うのだ。
そんなのんきな社会なら経済力は落ちるかもしれないが、その分ユーモアのあるゆったりとした社会になるんじゃないのかな。
だって、ファンキーでいいじゃない。
往来にそんな人が座っていたら。

ぼくはバランスが重要だと思う。
もちろんお金も大切だが、そればっかりにこだわるのではなくもっとこう、目に見えない大切なことも失ってはいけないと思うんだ。
心のゆとりというか。

物質面と精神面。
それらのバランスがうまくとれている社会こそが、本当の豊かな社会であり、また、そんな豊かな社会を持つ国こそが、本当の意味での先進的な国であると思うんだ。

そういう意味では、心の豊かさの少ない、かねかねかねの今の日本という国の現状は、明らかに後進的な国のそれだよね。
何で先進国なんて呼ばれているかが不思議でならない。

そういう国を目指そうよ。
本当の意味での豊かな国を。
人が人に対して、自然に思いやりを持てるような国を。
そしてぼくは、そんな国にこそ住みたいと思う。
そんな国にこそ本当の意味での”誇り”を持てるのだろう、とそう思う。
ぼくは、日本人としての誇りを持って、恥じることなく世界を歩きたい。
素敵な日本の一員でありたい。
そんな日本という国を愛したい。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

地平線

初めて地平線を見たのは、19の夏の頃だったか。
もう、10年以上も前のことになる………。

それまで自分は、地平線なんて見られないものだと思っていた。
こんな小さな国じゃあ。
大地の少ない、この国じゃあ。

買ったばかりのバイクで、日本を走った。
北へ北へ向かった。
ひたすら北へ向かって駆け抜けた。

北海道には、地平線があった。
果てしなく何もなく、何もないってことがこんなにも気持ち良く、爽快であるということを初めて知った夏だった。
地球を見た気がした。

それから何年もたって、その間に何度も地平線を見た。
なかには、地平線ばかりの国もあった。
当たり前のようにそこに大地が広がっていた。

もう久しく、地平線なんてものは見ていない。
広い景色を見ていない。

あんまり長く窮屈な所にいつづけると、世界は広いんだ、っていうことを忘れてしまう。
そんな当たり前のことにすら、気付かなくなってしまう。

ぼくはいま、地平線が見たい。
抜けるような青空と、果てしなく広がる茶色い大地、青く萌える草原、銀色の山脈、大自然の創りだす色彩の奇跡、宇宙。
そんなものに、抱かれたい。
考え付かないぐらい大きなものに抱かれたい。
そしてその中に溶け込んで、自分というものを無くしてしまいたい。
地平線の向こうを越えて、果てしないものと同化したい。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

カリフォルニア・ドリーミン

ぼくは、冬が嫌いだ。
寒いから。
木々は枯れ果て、空は灰色。
とても憂鬱………

そんなとき、カリフォルニアにいられたらな、と思う。
夢のカリフォルニア………

カリフォルニアに行ったのはもう10年も前になるのか。
海と太陽と潮風と。
湿気のない乾燥した空気に、降り注ぐ陽光。何もかもが光り輝くまばゆい風景。
まるっきり、夢のような世界………

あのね、世界は何でカリフォルニアみたいではないのかと、ぼくはいつも疑問に思うんだ。
カリフォルニアみたいなところがあると思えば、ボスニア・ヘルツェゴビナみたいなところもある。
年中太陽がでないところもある。
そんなの、不公平だと思うんだな、ぼくは。

ああ、カリフォルニアにいられたらな。
年中裸で、日光を浴びて、海で泳いで、サーフィンして。
冬なんて来なければいいのに。
寒い冬なんて無くなればいいのに。
世の中から辛いことが消えればいいのに。

むかつくな。
いやだな。
冬は。

カリフォルニア・ドリーミン
カリフォルニア・ドリーミン

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

雪のアウシュビッツ

雪のアウシュビッツは、雪に覆われ白く輝いていた。
ぴん、と、張りつめた静寂に包まれて、美しく輝いていた。
何万人も殺されたところだ。
人間が、人間を殺すために、ガス室に閉じ込めて、毒ガスを撒き散らす。
人々は、苦しみながら、死んでいく。
祝福されて生まれてきたはずのけなげな魂が、どろどろの靴で踏みにじられる。
一体誰にそんな権利があったろう?
その人達を愛した別の人達は、一体どんな心持ちでその現実を受け止めたろう。

憎しみが憎しみを呼んで、体内に充満し、自家中毒している。
おれは、人を信じることができない。おれは、何でこんなにも人を憎むのだろう。
なんでこの世には憎しみという感情が存在するのだろう。
おれは、人間が信じられない。人間が憎い。

ナチスはその対象を強制収容所に押し込んで、全員抹殺しようとした。
何もかも剥ぎ取って。まる裸にして。動物みたいに。衣服も。プライドも。何もかも。
おんなじ人間を、おんなじ人間が、そんなにもひどく扱う。
どうしてそんなことが可能なのか。
もし神様が,人間をつくったというのなら、どうして人間をそんな風に残酷に創造したのだろう。
憎しみや怒りという感情を、人間に与えたのだろう。
おれは、無慈悲な神を憎む。

人間は、決して美しくはない。
人生とは,美しいものではない。
もっと、いびつで、暗いものだ。
決して幸福なものではあり得ない。
もし,素晴らしいというのなら、人生は美しく、輝きに満ちあふれているというのなら、いったい、そういった不幸せなできごとを、どう説明するというのだ。
人が人を殺す地獄のような有り様を、なんで美しいといえるのか。

ナチスはユダヤ民族の撲滅を図り、一千万人近く虐殺したという。地球上から消し去ろうとしたらしい。
どこの悪魔がそんな恐ろしい発想を思いつくだろう?
そしてさらに、人間はそういった過去から何にも学び取ろうとしないで、色んな口実を見つけだしては人を殺し続ける。
よっぽど人殺しがたのしいんだろうな。
そんな性質を持っている人間の、一体どこが美しいというんだ、おい、だれか、教えてくれよ。

ささいな金に媚びへつらい、色んなものをないがしろにして、人を傷つける。
そんな残酷な人間の、どこが素晴らしいというのだ。
人生が素晴らしい、人間って素晴らしい、おい、そんなの全部嘘じゃないか、まやかしじゃないか 、何でだれも大きな声で言えないんだ?

雪で覆われた、冬のアウシュビッツは、過去の惨劇が嘘のように、静寂に包まれ、美しく輝いていた。血塗られた過去は、何もなかったかのようにまっ白く覆い隠されている。

血まみれの歴史の上を、さらに血で塗り固めていく。
どうして人殺しに理由をつけるんだ?
戦争が正しいというのなら、その辺で起きている、個々の殺人事件すべてが正しい。
正義とは、人の数だけ存在する。
おれの正義と,あなたの正義とは絶対に相容れない。

何だか疲れてしまった。
おれは美しいものだけを見ていたい。
汚れて、汚いものは、みんな雪に覆われて、まっ白になればいい。

無人の冬のアウシュビッツは何ごとも語らずただ、しん、と雪の中で静寂に包まれていた。美しく輝いていた。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

ぱさぱさのタイ米

タイ米って、ぱさぱさなんだよね。ほそながくって。
あんまり味がしない。味気ない。
でも今、無性にそれが食べたいんだ。
ココナッツ風味のさらさらしたカレーなんか上にかけちゃって。
そうすりゃあ完璧なタイ・カレー。
マサラ風味のさらさらしたのかけりゃあ、インド・カレー。

うまいよね。
最近はまって、よく食べにいく。
食べてると、旅してたときの風景とかぼんやりと浮かんできて、ちょっと懐かしい気持ちになったりもするんだ。
たのしいかんじ。

でも、ぜいたくを言うと、ごはんが違うんだな。これが。
おいしい日本米なのである。
ちょっとさめてしまう。
そこだけは気を使って日本人にあわせているのかな。
それが少し残念だ。
日本の料理には日本のお米があうように、アジアの料理にはやっぱりアジアのお米がぴったりなのだ。
ほそながくって、ぱさぱさなのがね。
ためしてごらんよ。
ちょっと慣れれば絶対そっちの方がおいしいから。
日本人って、お米にはこだわりがあるから、なかなかその辺の所は譲れないんだよね。
だけど、ちょっと冒険してみるのも、たのしいかも。
視野が広がるよ。
うまいんだって。
本当に。

誰か、ちゃんとしたぱさぱさのタイ米で、おいしいインド・カレーやタイ・カレーを食わせてくれないかなあ。
食ってみたいなあ。久々に。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。