ぼくはあの人達が嫌いだった。
何だかうけつけなくってイヤだった。
話をしていても、どこか心の中では斜めにうがってみていた。
話も適当に聞いていた。
でも大分時間がたった今、思い返して後悔している。
もっと色んなことを話しておけばよかったな、と思っている。
きちんと正面から接しておけばよかったな、と思っている。
要するにぼくはあの人達が怖かったのだ。
あの頃はああいう人達の存在を信じていなかった。 信じまいとしていた。
アンコールワットのあるシェムリアップというカンボジアの小さな村で出会った。
奥さんと6才くらいの子供と3人だった。
奥さんはあまり話さない人で、だんなさんが主にみんなと付き合っていた。
物腰が柔らかくって誰とでも話をする。 40前後の人だ。
若者に混じってもちっとも違和感なんてない。やさしく穏やかな人だ。
そういうのが嫌だった。
そういう人間をぼくはにわかに信じない。必ずどこか裏の顔を探す。
嘘つけ、と思ってしまう。
だからずっと彼らと一緒のときのぼくは、とても嫌な奴だった。
国境なんかないぜ、世界はひとつなんだぜ”
みたいなことをいう彼に、吐き気がしていた。
ある日の夜、寝ていると、外から何やら議論しているのが聞こえる。
聞いていると、年輩のおっさんが熱く、西洋のアジア蔑視について非をといているのを彼が、「そんなことないんだぜ、みんな兄弟じゃないか」となだめていた。
でもけっきょく平行線だったみたいだ。
またそんなこと言ってやがる、と、ニヒルに苦笑しながらぼくは聞いていた。
そのままの心境で彼らとお別れした。嫌な奴のまんまで。
そのとき一緒にいた男と帰国後、再会した。
たびたび彼の話がでた。
そいつの話を聞いていると成程、そんな人だったのか、と思う。
「あの人はめっちゃ哀しい人やと思うわ」
という一言で彼の印象が変わった。
彼らは3人でネパールに住むらしい。
ポカラというヒマラヤを臨む小さな村の近くに。
そこ行けば、みんなオレのこと知ってるよ、聞いてごらんよ、いつでも遊びにおいでよ、といつも言っていた。
彼はいつでも人を受け入れていた。
ぼくと話しているときですら、嫌な顔なんかひとつもせずに同じように接していた
もちろん、ぼくの心は分かっていたと思う。
けど思うのだ。
なんでそんな柔軟な人がネパールに住むんだろう。住むことになったんだろう。
なんで日本では生活できなくなったんだろう。
多分、ずっといると言っていた。
もう帰らないってことだ。日本には。ずっと。
けっして日本が嫌いなんじゃないと思う。
むしろその辺の人よりも何倍も、何十倍も好きなんだ。愛してんだ。
だからこそ日本と真剣に向き合い過ぎてしまった。だめになってしまった。
そしてあくまでも肯定的な結論として自分に合った方を選んだ。
それがネパールだった。
こんな寂しいことはないと思う。
自分の生まれ育った故郷を捨て去るというのは一体どんな気持ちだろう。
もう帰らないと決心した心の中はどんなだったろう。
彼はいつでもみんなと一緒だった。
決して誰のことも、日本のことも悪くはいわなかった。
けど、彼の目はいつもどこか哀しげだったのを、ぼくは今さら気がついた。”