インディアン・ランナー

オレの友達に、映画好きな奴がいた。

今日、オレは「プレッジ」という映画を観て来た。
定年を迎える刑事が、ある殺人事件を追っていく話だ。
とても切なく、やりきれない話だった。
誰のせいでもないのに、みんなが不幸になっていく話。

現実と似ている。
現実は、誰のせいでもないのに、みんなを不幸にしていく。
強すぎる愛情が、情熱が、そういうのを持っているその人自身を、どんどん不幸にさせていく。
オレは、そういうものだと思っている。

その友達は、ニューヨークへ行った。
学校を辞めて、ニューヨークへ行った。
オレの知らない間に。
いつの間にか行っていた。

そいつが。
オレと遊んでた頃。
よく飯を食いに行ったりしてた頃。
 ”この映画観てみろよ” ってオレに渡したその映画。
「インディアン・ランナー」という題名だった。
「プレッジ」と同じ監督が撮ったものだった。
ショーン・ペンという役者が撮った。

それは。
その映画は。
愛情の強すぎる兄弟が、愛情が強すぎるが故に相容れず、離ればなれになっていく悲しいお話。
うまくいかない人達の、悲しいお話。
不幸せな人達の、不幸せな物語。

でもオレは、それにでてくる人達が好きだった。
情熱を秘めてて、思い入れが強すぎて、破滅していく人達。
人を、あらゆるものを愛し過ぎるが故に、破滅していく悲しい人達。
弱さが、罪のないほんの少しの弱さが、人をおとしいれていく……

何だか、切なくて、やるせなくて、大声で叫び出したくなる。
何で、そういう純粋な人達が悲しい思いをしなくちゃならないんだろう?
どうしてそういう正直な人達が、辛い思いをしなくちゃならないんだろう?

そいつも、オレの友達も、思えばそんな奴だった。
ニューヨークに行ってからは消息不明で、ホームレスになっているという説もある。
ちょっと信じられないけど、あいつならあるかもな、と思ったりもする。
そのときはあんまり思わなかったけど、今ならあいつが「インディアン・ランナー」を好きだった理由も分かるような気がする。

悲しみを知っていたんだと思う。
人間の、どうすることもできない、終わらない悲しみを知っていたんではないかと思う。

不公平だ。この世の中は、公平ではない。
まじめな人が報われない。
純粋すぎる人達は、そうであるが故に辛い思いばかりする。
どうしてだろう? どうしてなんだろう?
誠実な人であればある程、不幸になる世の中だ。

もし神様がいるならば。
万能で、全能の、神がいるならば、一体どうしてこの世の中をこんなふうにつくったんだろう?
こんなにも不完全につくったんだろう?

それがみんなを苦しめる。みんなに辛い思いをさせている。
孤独で、ひとりぼっちの、悲しい世の中だ。
寂しい。とても寂しい。

ふと気が付くと、みんなの笑顔が思い出になって、自分だけが取り残されて、全ては過ぎ去った過去の海へと呑み込まれていく。

目が覚めると、家の中にひとりぼっちで誰もいなくって、とても静かで、この世界にたったひとりのような気がして、誰かに会いたくなって、話がしたくなって、落ち着きもなく右往左往する。
胸が掻きむしられるように痛くって、心細くって、とても不安で、誰かに抱き締めて欲しい。強く、しっかりと抱きしめて欲しい。

悲しみは、終わらない。寂しさは決して無くならないーーー

みんなの笑顔が、オレを苦しめる。
楽しかった思い出が、オレを苦しめる。
もう戻らないあの時間が、とても輝いてみえる。

インディアン・ランナーは、メッセンジャーとなって駆け抜けていった。
オレの心に何かを打ち込んで駆け抜けていった。
打ち込まれたそのものは、人間の悲しみの質量をオレに教える。
それは、打ち込まれた楔となって、いつまでもオレの心に残り続ける。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

匂い

匂い。嗅覚。人間の、嗅覚、感覚、知覚、感受性。
ぼくは、不思議に思う。それらを、とても不思議に思う。
どうして目の前にある現実は一定ではないんだろう?
どうしてぼくの見ているものは、あなたの見ているものと同じではないんだろう?
どうして今確かにいるこの場所が、とつぜん違う所になったりしてしまうんだろう?

よくあるでしょ。アジアン雑貨屋さん。
たいてい、雰囲気を出すために、お香を焚いている。
独特の香りのする、あれだ。
そしてそれらは、ネパール製だったりする。
その前を通ってね、その煙の匂いを嗅いだりすると、ぼくは一瞬にしてカトマンズへ行ってしまうんだ。
カトマンズの思い出が、目の前に広がってくる。
そのとき見ていた光景の、本当にちょっとした細かな部分までが鮮明に甦ってくる。
インドでなくってネパール、なんだ。
あの、甘い香りは、カトマンズなんだ。
その煙りの匂いは、このぼくを一瞬にしてネパールへ連れていく。
目の前に広がる、甘い思い出。
他のどこでもない、ネパールの思い出。
とっても甘い。甘く切ない。

そんなのが。
忘れてしまっていた、そういう感覚が、お香ひとつでよみがえる。
不思議だと思わない?
人間は、忘れてしまっていると思っていても、どこかでそれを覚えているものなんだ。
感覚が、無意識を刺激して、目の前に幻をつくり出す。
お香の匂いは、オレに、カトマンズの風景をとてもはっきりと、思い出させる。

無限だな、と思う。
人間の感覚は、無限なんだな、と思う。
そんな奇跡をつくり出せる。

健全な社会生活を送るために、健全な約束事があって、オレはそれらを、とってもつまんないものだと思うんだ。
人間とは本来、もっと自由で、何でもありの存在だと思うから。

ぼくは、人間の持っている感覚が好きだ。
言葉では言い表わすことのできない不可思議さが好きだ。
だから、世界とは、もっと自由であるべきだ。
お香の香りひとつでカトマンズへ行けるぼくみたいな奴もいるんだもの。
もっと何でもありでいいじゃないか。

世の中は、もっとはっきりしている。
答えは、すぐ目の前にある。
そんなにシンプルな世の中なのに、何故だかとても難しいものに思えてしまう。
それってもったいないよね。
せっかく生まれてきたんだから、ぼくは楽しく生きたい。
楽しんで毎日を過ごしたい。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

カーペンターズ

インドの山奥で部屋をシェアしていた奴が、いつもカーペンターズを聴いていた。
オレは、知っての通りのロックン・ローラーで、そんな甘ったるい曲聴けるかよ、って、本人には言えないけど内心いつもそう思っていた。
そいつは、 そこで出会ったタトゥー職人に、キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラ、のタトゥーを入れてもらっていたような奴で、お前がカーペンターズって柄かよ、って、これまた内心いつもそう思っていた。

先日、NHKか何かの番組で、カーペンターズの特集をやっていた。
何の気なしにそれを見ていたぼくは、歌うカレン・カーペンターの姿を見て、戦慄を覚えた。
決して美人とは言えない彼女は、むしろ、陰惨な印象をかもし出していた。やつれた顔の輪郭、太い眉、薄い唇、青ざめた顔色。

しかし。

しかし。

彼女の笑顔。

はち切れんばかりのその輝き。

あんまり眩しいその輝きは、明るい気分を通り越してむしろ、悲しみを表現していた。
オレは、何だか知らないけど、涙が止まらなかった。
あの表情は、あの笑顔は、決して簡単なものではなかった。
決して、お愛想や、付き合いで作ることのできるものではなかった。
深い悲しみや、寂しさを知っている人だけにしかできない微笑み方だった。

オレはそんなことを思いながら涙が止まらなかった。
本当に止まらなかった。

何でだろう? 何でそんなに辛い思いをしなくちゃならないんだろう?
彼女は、彼女は、きっと、強く求めているものが目の前にあるのにもかかわらず、目の前にあるそのものと自分との間に絶望的に永遠の隔たりのあることを知っている人だったんだろう。
目の前にあるのに、決してそれに触れることのできないもどかしさ。
それを確信している、不幸。
欲しいものにはいつだって手が届かない。
遠い雲の上。

なんて、不幸な人生なんだろう。
なんて、悲しい人なんだろう。

でも。
笑ってる。
彼女はいつも笑ってる。
永遠の孤独を知っていて、もはやそれに抗うことすら諦めて、それを受け入れようとしている。
そのために歌う。
魂をしぼりあげて歌う。

だから。
彼女の声は美しい。
この世のものとは思えないぐらい、美しい。

オレは思うんだ。
彼女の歌声には、神さまが宿っていると。
彼女は、きっと、その歌声で、神を表現しようとしているんだと。
愛に溢れてる。
胸いっぱいの愛だ。

こういう人が、いたっていうことは、オレに希望を与えてくれる。
偽物ばかりの世の中で、嘘やまやかしだらけの世の中で、こういう本当の人が確かに存在したという事実は、オレに生きる希望を与えてくれる。
とても優しい気分にさせてくれる。

世界のてっぺんに腰掛けて、眩いばかりの笑顔を振りまいて、みんなの幸せのために歌う。
みんなの幸せのために、命を削って歌い続ける。

ああ、カーペンターズって素晴らしい。
本当に、素晴らしい。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

セクシュアリティ

性的な関心というのは、隠す、という行為と密接に係っていると思う。恥じらいとか。
必要以上に隠されたり、焦らされたりすると、何とかその秘められたものを暴いてみたくなるものだ。
手に入らないものってセクシーだ。

ぼくは中国に二か月ぐらいいたけれど、中国の女の人にそういった感覚を抱いたことが一度もない。
こんな国他にない。
街を歩けば女の人ばかり見ているこのぼくが、中国の女の人に興味を抱いたことが一度もない。
何というか、エロティックなものを感じない。

中国の人達は性的な関心ごとを隠そうという気があまりないのかもしれない。
一番驚いたのが、ごく普通の往来に、まるで八百屋か何かみたいに、大人のおもちゃ屋があったことだ。しかもそれは日本のそれのようにダークに隠ぺいされておらず、ショーケースに普通に並べられており、その様子が通りから丸見えである。
さらに白衣を着たおばちゃんがそれらを販売している。
ぼくはそれを見たとき、中国の人達とぼくとは根本的に何かが違っているのだと思わされずにはいられなかった。
焦点の当て方が違うというか。

例えば中国の女の人は、男性と同じように唾を吐く。道を歩いていて、カーッとやってペッと吐く。ぼくは何度もかけられそうになって冷や冷やしたものだ。
立ち居振る舞いも、恥じらい、というものがない。
座り方や、歩き方などが男の人のそれとあんまり変わらない。
むしろ、男よりも堂々としてて男らしいかもしれない。
男らしいといえば、一番驚いたのが、電車の中、ぼくの目の前で年頃のお姉さんがシートに足をのっけて大股開きで大口開けて寝ていたのを見たときだ。
男のぼくでもあんな格好はあまりしたことがない。
さすがにその光景は衝撃的だった。
「男女平等」を突き詰めていくとこういう世界になるのではないか、と思ったりもした。

でも、こういのもいいかもね。
はっきりいって、セクシュアリティはぼくの心を苦しめる。
肉体的な欲求と精神的な欲求がごちゃごちゃになって、区別がつかなくなって、冷静に女の人を見ることができない。
果たしてこれは恋愛なのか、やりたいだけなのか、自分で自分が分からない。
人を好きになる、という感覚が分からない。
自分は本当に人を愛したことがあるのかどうか。
愛していた、と自信を持って言うことができない。
人を人として純粋に見ていたかどうか疑わしい。
うまく自分の中で整理することができない。

もっと、単純だったらいいのに。
中国みたいに分かりやすかったらいいのに。
女の人が女でなく、男と女の区別が極めて曖昧で、変な駆け引きだとか、作戦だとか、そんなのなくって、もっとストレートに付き合えたらいいのに。
おかしいかな?
風邪なんかひいたりして、元気がなくって、まるで性欲なんて湧いてこない状態。
あんな状態が一生続けばいいのにと思う。
そうすれば楽なのになぁ、と思う。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

アメリカ -Simon&Garfunkel,Americaより-

ぼくら恋人になろう、結婚しよう、これから先、ずっと一緒に暮らそう

ぼくは、キャシーに言ってみました。

少しなら、お金はあるんだ。

煙草と、ミセス・ワグナーのパイを買って、歩き始めた。
アメリカを求めて。
アメリカを探しに、アメリカを探しに……

ピッツバーグからグレイハウンドに乗って、ぼくは言いました。

“キャシー、もうミシガンだなんて夢みたいだよ、昔はね、シグノウからヒッチハイクで四日もかかったんだ。
ぼくは、その昔、アメリカを見たくて旅にでた。アメリカのことをもっと知りたくって旅にでたんだ”

長い長いバスの中、ぼくらは子供っぽい遊びをして、時間は退屈なバスの中の空間をゆっくりと循環するように過ぎていきました。

“気をつけて、ギャバジンのスーツを着たあの男、きっとスパイよ”
“奴のあのネクタイは、カメラになってるんだね”
“ええ、そうよ、奴らに私達が何ものかってことを気付かれないようにしなくちゃいけないわ”

しばらくしてそんな遊びにも飽きたぼくたちは、することもなく煙草でも吸おうかと思いました。
しかし、どうやら最後の一箱は一時間も前に吸い終わってしまっていたらしいのです。
仕方なく彼女は退屈してつまらない雑誌なんかをぺらぺらとめくっていました。
ぼくは、ぼんやりと窓の外の景色を眺めることにしたのです。

明るい電気のついた車内に反射して、窓は、ぼくのぼんやりした顔をぼんやりした顔そのままに映し込んでいました。
窓に映った自分のその顔と、背後に絶えまなくどこまでも広がっていく平原の様子を、どちらを見るともなくぼんやりと眺め続けていました。
日も落ちて、平原の向こうには月が浮かんでいきました。
ゆっくりと、浮かんでいきました。

ぼくは、キャシーに向かって言いました。
今となっては、彼女は眠ってしまっているというのは知っていたんですけれども、言ってみました。

“キャシー、辛いんだ、何だか分からないけど苦しいんだ、
       胸が痛くってたまらない、
          どうしてだろう、どうしてだろう……”

夜が明けて、次の日のニュージャージーターンパイクでは道ゆく車の数を数えたりして遊びました。

アメリカを見つけにやって来たのです。
みんな、アメリカを探しに。
アメリカを求めて、アメリカを求めて……

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

美しいたましい

マケドニアという東欧の小さな国を電車で通過するとき、
ぼくらのコンパートメントに、五人家族が乗り込んできた。
家族はいかにも田舎の大衆的な一家だった。
そんなにお金がありそうには見えないし、むしろ、普通よりは貧乏な方だろう。
服装や持ち物も決してこぎれいとは言えない。
ベオグラードという、ユーゴスラビアの首都へ、出稼ぎに行くんだ、というようなことを言っていた。

子供が二人いた。お兄ちゃんと弟と。
彼らは警戒心というものを全く持たずに、ぼくらに接してきた。
まるで昔からの知り合いのようなやり方で、ぼくらに近づいて来た。
屈託のない笑顔で話しかけてくるその瞳には、相手の考えを見抜いてやろうとか、自分のことはなるだけ見せないでおこう、というような謀略めいたものはまるでなく、それはただ、澄んで、夏の小川のせせらぎのようにキラキラと輝いていた。
ストレートにぼくの心に入り込んできた。

ぼくは今までそんな経験があまりなかったので、ちょっと慌ててしまったんだ。
そんなことあり得ない、って、これは何か企んでるに違いない、って。
いつもそうしてるみたいに、自分の心にバリアを張った。
でも、そんなことなかった。それは間違いだった。

一昔前に、はやったでしょう? タマゴッチ、っていうひよこを育てる携帯型のあのゲーム。
ぼくはあれの偽物を旅の途中で手に入れて、それを育てながら旅してたんだ。
退屈なときそれをピコピコやってたら、彼らはぼくも持ってるよ、って、鞄の中から自分達のを出してきた。
差し出されたそれはぼくの奴よりもさらに偽物で、インチキくさいものだった。ほらほら、一緒だろ、って、見せてくる。
変な恐竜がぱくぱく餌を食べている。
ぼくはもうゲームに飽きてたし、その子達があんまり大事そうにそれを扱ってるものだから、これ、あげるよ、って言ってぼくのやつをあげたんだ。
そしたら彼らはきょとんとした眼差しでぼくの方をしばらく見つめ、うれしそうに笑った。
そして宝石でも取り扱うかのようにぼくの偽タマゴッチを手の平の中で転がした。
お母さんに、これもらったんだ、って報告したり、ひとしきり画面の中の犬を操ったりした後に、じゃあ、ぼくのこれをあげるよ、って彼らのタマゴッチの偽物をいとも簡単にぼくにくれた。
ぼくが、いいよって断っても応じずに押し付けてくる。
仕方ないからぼくはそれをもらったんだけど、内心とてもうれしかったんだ。
色がはげてるプラスチックのそれは、よっぽど何回も何回も彼らに遊ばれたことを物語っている。
楽しそうに遊んでる姿が自然と目に浮かんでくる。
彼らがぼくにそれを見せてきたときの彼らの表情は誇らしげに輝いていた。
そんな大事な宝物をぼくにくれるなんて。
両方自分のものにしようなんていうケチな考えは、多分彼らの頭には浮かんで来ないんだろうな。
欲がないっていうか……
清潔な心。清いたましい。

実は人間っていうのはもともとこういう人達みたいなものなんじゃないのかな、って思った。
シンプルで、ストレート。
変な駆け引きや下らないプライドなんて介在しない、人と人との純粋な関係。

人間の心を歪めてるものって何だろう?
自然に他人を警戒して心に壁を作ってしまうその気持ちって何だろう?
ぼくはちょっと悲しくなった。

彼らの清さとは強さだと思う。
人を信じるということは恐ろしいことだ。
必ず何らかのリスクが付きまとう。
人というのは、ちょっとした気持ちの行き違いによって簡単に傷ついてしまう、もろい生き物なのだ。
本能的にそれを知っているから身を守るために、防御して様子を窺う。見ず知らずの他人に自分の全てをさらけだすなんてとてもできない。

でも彼らはとても無防備だった。見ず知らずの外国人であるぼくの心に裸で飛び込んできた。
何の警戒心も抱かずに、まるで彼らの家族や、兄弟であるかのようにぼくらに接してきた。
それってある意味強さだろ?

傷つくのが怖いから、ぼくは意地を張ってきた。
本当はそんなつもりじゃないのに、素直になれなくて、色んな人を傷つけた。
ぼくに彼らのような勇気があったなら、ぼくは、もっと違ったぼくになってたのかもしれない。
色んなことが、もっと違っていたのかもしれない。

ぼくは彼らがとてもきれいに見えた。
ああ、人間ってこういうものなんだよな、って思うことができた。ピュアな感覚。ピュアな人達。美しいたましい。

ぼくは憧れる。
彼らみたいな清潔な強さに、とても強く憧れる。           

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

ラブ・モリソン

ぼくはロックンロールが大好きで、
はかなく散っていったロックンローラーたちは、
こんなぼくをいつも慰めてくれた。

“ハニー、ベイビー、涙を拭いて、あなたは間違っちゃいないわ”

酒や、ドラッグでぼろぼろの嗄れ声で、
落ち込んだこのぼくをいつも慰めてくれた。
ロックがなかったら、ぼくは生きてこれなかったかもしれない。

ジム・モリソン、っていうのは、
ドアーズというバンドのカリスマ的なボーカリスト。
六十年代後半にカリフォルニアで生まれたバンドだ。
当時のヒッピームーブメントに乗っかって、数々のヒッピー達や反体制的な若者たちに愛された。
しかし、バンド自体の命は短命で、ヒッピームーブメントの終演
とともに三年かそこらで消えていった。

ジム・モリソンはドラッグに溺れて、パリで死んだ。
孤独という死に神に取り憑かれて死んだ。
ブルースという青い悪魔に見入られて逃れられず、
夢の世界に溺れて死んだ。溺死、だ。

ぼくはパリにある彼のお墓にお参りに行った。
ちょっとだけ彼と二人きりになれたような気がして、
ドキドキした。

“BREAK ON THROUGH TO THE OTHERSIDE”

彼は向こうの世界に行けたのだろうか?
その壁を突き抜けて?
何の束縛もない自由な世界に?
色とりどりの花々の咲き乱れる、キラキラした世界に?
極彩色の蝶々みたいに散っていった。
あらゆる快楽に溺れ、スピードに乗って人生を消化した。
カッコイイ生き方? 寂しい死に方?

彼は不幸だったと思う。
決して満たされてはいなかったと思う。
ひょっとしたら、満たされている、という感覚を一生理解できずに死んだのかもしれない。
とても不幸な死に方だ。
全ての自殺者達に共通する、最も不幸な死に方だ。

彼らは音楽に情熱を傾けた。自分の欠落した感情を、
胸の奥から絞り出されるような魂の叫びをぶつけるために、
ぶちまけるために、歌を歌った。演奏した。
震えるようなその叫びは、ぼくの胸を揺さぶった。
ぼくの魂をわしづかみにした。
知らない世界を見せてくれた。
見えない世界のあることを教えてくれた。
向こう側の世界、のことについて教えてくれた。

ぼくは彼を愛している。
彼の叫びを愛している。彼の言葉を愛している。

?知覚の扉を開くとき、万物はあなたに語りかける。
 無限に広がる永遠性のあることに、
 あなたは気が付くことだろう。
 向こうの世界へ突き抜けよう、向こうの世界へ突き抜けよう、
 目の前の壁を打ち壊し、向こうの世界へ突き抜けよう?

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

今まで食った中で、一番うまかったもの

今まで食べてきたものの中で、
一番おいしかったものって何ですか?
それってすぐに浮かんできますか?
聞いといて悪いんだけどぼくは、特に浮かんで来ません。
でも色々思い出してみて思うのは、
パキスタンで食べたオクラ御飯。

オクラってぼくは、その語感もそうだし見た目もそれっぽいので
てっきり日本のものだと思っていた。
それが意外にも、実は向こうから伝わってきたものらしい。
原産はアフリカで、アラブを経由してこちらの方に来たそうだ。
オクラって名前も、もともと向こうの言葉だそうだ。

パキスタンに入ったとき初めて食べたものがオクラだった。
ぼくは何でこんなところにオクラがあるのか不思議に思ったし、
それを運んできた食堂の店員もそれのことを、
オクラ、と呼んでいたような気がしてちょっと驚いた。
でも、それ以来どんな食堂へ入ってもオクラ料理は必ずあるので
薄々、こっちの方のものなのかなあ、と思ってはいたんだけど。

で、そのオクラなんだけど、ぼくはまあ、
どっちかというと好きかな、というぐらいで、
それまで特においしいとは思っていなかった。
それが。
旅行中で食べたものの中で一番おいしかったものがこれなのだ。
ひょっとしたら、今まで生きてきて、一番かもしれない。

人間の感覚というのは不思議なもので、
同じものを常に同じように感じるとは限らない。
その場の環境や、気分、体調なんかにもかなり影響される。
例えば、物凄く好きな食べ物を、風邪を引いてるときに食べてみ
てもちっともおいしく感じられないみたいにね。
こちらの状態によっては、
全然違うものに変わってしまったりするのだ。

ぼくはそのオクラ御飯を、砂漠を走る長距離バスに乗っていると
き、深夜のバスストップで食べたのだ。
日中は気温が五十度以上にも上がり、男ばかりのバスの中は、
もう地獄のような状態である。
夜は夜で道が悪くてバスがゴンゴン跳ねるのでちっとも寝られや
しない。
寝られやしないんだけどバスストップではきっちり起こされる。
どやどやと男たちがバスを降りていくので、
ようやくうつらうつらし始めたというのに、
起きざるを得ないのだ。
仕方なくバスを降りていくとそこには、
さすがに砂漠のど真ん中だけあって、
ただゴザの敷いてある簡単な休憩所のあるだけだった。
裸電球がいくつも吊るされている、とても侘びしい風景だ。

小さな小屋みたいな建物が二三あって、
どうやら食事をとれるらしい。
見ていると乗客たちが何やら器を片手に、
ゴザの上に座り込み始める。
ぼくは昼間の猛暑で食欲もなく、
ほぼ丸一日何も食べていなかったのでとてもお腹がすいていた。
何を食べているのかよく分からないけど、とにかく腹が減ってい
たのでみんなと一緒にその小屋の前に並んだ。
そしてしばらく待って出されたものは、
ただの、オクラ御飯、だった。
ひとつの器に、オクラ。もう一方の器にはごはん。
ごはんと言っても、
日本で食べるようなふっくらとしたツヤツヤのものでは全然なく
もっとパサパサで味気のないもので、
カレーなどをかけて食べるのならまだしも、
それ単体で食べるのはちょっと酷なものである。
出てきたもののあまりの質素さにぼくは少なからず驚かされたが
何せ腹が減って腹が減ってしょうがないものだから、
たとえそれがただのオクラ御飯であろうとも、
とにかくうまそうに見えた。
そして再びみんなと一緒にゴザの上に座り込んでそれを食べ始め
る、と、それは、えも言われぬ程のおいしさであった。
ぼくはあっという間にそれらをぺろりと平らげた。

今思い出しても不思議に思う。
何であんなものがあんなにうまかったのであろう。
そしてあんなものが人生の中で一番うまかったものだ、
と公言しているぼく。何か嫌だなあ。
もっとこう、フォアグラだの、キャビアだの、言いたい。

そしてまた人間の感覚について考える。
果たして人間にとって一番おいしいものって何だろう?
それはもちろん、人それぞれだろうが、そのものの、
食べるものの値段だとか、手間だとかって、
それにどこまで係ってくるんだろう。
ぼくには分からない。
確かに値段の張るいいものを食べればそれなりにおいしいし、
びっくりするような味だったりする。
でも、後々あんまり覚えていなかったりもする。
パキスタンのオクラ御飯はとても印象的だった。
あの味はこれからも一生忘れることはないだろう。
あんなただのオクラとごはんが。

人間の感覚、って何なんだろうね。
そのときのぼくにとって対象の本質的な価値というものは、
まるっきり無意味になっていた。
だって仮に今それを食べたって、
決しておいしいとは思わないだろう。
それがぼくはすごく不思議だ。いったい、何が本当で、
何が嘘なんだろう。

たまに考える。
オクラ御飯を食べたあのときみたいな気持ちで何でも食べられた
ら、それはすごく幸せなことなんじゃないかと。
のみならず、そんな気持ちで何ごとにも取り組めたら、
毎日がとても楽しくなるんじゃないのかと。

でもなあ、ここクーラー効いてて涼しいしなあ、
食いもんなんて何だってあるしなあ、
とてもあんなオクラ御飯なんて食べる気おきないんだよなあ……

追伸: 
ちなみにこれまでで一番うまかった飲み物は、
部活やってた高校のときに飲んだ、練習の後の水道水です。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

ティラミス

一昔前に流行ったティラミスというケーキ。
オレはそんなに好きではなかった。
食ってみても、ふーんって感じ。
でも。
イタリア行って食ったとき、
こんなにうまいものだったのか、と思って感心した。

調べてみると、マスカルポーネチーズなるクリームチーズと、
卵を泡立てて作るらしい。
それをコーヒーやラム酒で仕上げるのだそうな。
なるほど、そんな味がしていたような気がする。

 ”ティラミス” というのはイタリア語で、
“わたしをハイにして” という意味だそう。 
何とも意味深な、エロティックなネーミングではないか。
この辺からしてイタリアで食ったティラミスは、
果たして名前通りであった。
実際、ハイ、になった。それはとろけて天国へ行ってしまいそうなぐらいの官能性を秘めた味であった。
蓮っ葉な姉さんに流し目で誘惑されているような感じ。

日本で食ったティラミスは、
何というかもっとお上品な味だった。おとなしいというか。
清潔で、安全な味。優等生的で、抑揚の少ない味。
そう、イタリアで食ったティラミスは、不良、であった。
こっちから味わうのではなく、向こうが主張してくるものを味わわされてるみたいな感じ。過激で刺激的な味をしていた。
こちらから制御しきれない危険な味。
日本のティラミスと比べると、そこが違っていた。

オレは不良が好きだから、
やっぱりイタリアの方が断然うまく思えたね。
皿への盛り付け方も、ウェイターが、
トレイに乗った大きなティラミスを適当に切り分けて、
そのまま皿の上へどさっとのせる。
オレは、ああ、こんなもんなのか、ってびっくりしたよ。
でも皿の上でワイルドに形の崩れたティラミスは、
やっぱカッコ良かったね。不良っぽくって。

 「食ってみる?」って感じで挑発的で。

思えばイタリア人、ってみんな不良なんだよな。
遊んでばっかだし。派手好みだし。
作るものにもその国民性がよく出てる。
料理でも、車でも、あんまり真面目っぽくないよね。
何だかみんな色っぽい。色気がある。
そのティラミスはまさにそんな味をしてたんだ。
とろけるように甘くって、それと同時に、苦みもあって、
舌を刺すようなアルコールがじっとりと染み込んでて。

いいな、って思った。人生楽しんでる感じで。
そういうのって憧れる。かっこいい。
素敵に人生を楽しんでる人って光ってる。
オレもそういうかっこいい不良になれたらな、って思うんだ。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

終わらない旅 – 全ての旅立ちたい人のために Part2

終着点。全てのものには終わりがある。
旅だってそうだし、人生だってそうだ。 

永遠って何だろう?
永遠、って概念が、永遠、って言葉を生んだのだと思うし、
それは分かりにくくとも、確かに存在するものなのかもしれない。

でも人生には必ず終わりがある。
命あるものはいつか死を迎える。避けられない。
永遠ではあり得ない。
旅だってそうだ。
いつかどこかで、どこかへ帰る日がやってくる。

でも。
終わらない旅、っていうのがあるとしたら?        

旅先で出会ったある人が、
終わらない旅の話をぼくにしてくれた。
その話はぼくに、永遠、ってことを考えさせた。
それはとても心地の良い感じだった。
色んな束縛から自由に解放されるような感覚だった。

彼は言った。

 ”もし、旅行することに終わりを定めているとしたら、
 どこにいても、どれだけビザに余裕があっても、必ず時間に、
 何かに縛られることになる。
 それと同じで一生の中に、死、というものを終着とするならば
 それもまた、時間や他の色々な何かに縛られることになる。”

死、はある。必ずある。避けられない。

でも、それをひとつの通過点だとするならば?
そう思えることができるとするならば、それは終わりだろうか?

例えば旅の終わりが、日本に帰る、ということだとしたら、
その旅はそこで、死、を迎える。旅が終わる。
人生が終わるように旅も終わる。
しかし、もしそれを、ひとつの通過点だとするならば?
通過点に過ぎない、と捉えることができるのならば?
旅は決して終わらない。
たとえ、ずっと日本にいたとしても、
それから一生どこへも行かなかったとしても、
その旅は終わることはないだろう。
本質的な意味での旅は決して終わりを迎えない。

要するに終わりのことばかりに囚われていたら、
結局その行為とは、
終わりに向かうためだけに進行していくということだ。
束縛から自由になれない。
反対に、もっと先を見ていたら、
終着地点より先を見ていられたら、
もっと伸び伸びと色んなことができる。
様々なことに刺激を感じられる。

彼は言っていた。
 
 ”オレの旅に終わりはないよ。
 たとえ日本に帰ってきたとしても、
 またどうせすぐ出てくるだろうしね、ハハハ。
 でもたとえそうじゃなくっても、
 今ここにいて感じているこの気持ちは消えることはない。
 それはきっと日本にずっといたとしてもそうだと思うんだ。
 だったら、それは今いる場所の違いだけであって、
 本質的な自分ってものは何にも変わらないだろ?
 だから、人生は、旅、なんだと思うんだ。
 終わることのない、ね。たとえ死んじまったって、
 オレのやってきたことっていうのは否定できないし、
 どっかにそれはずっと残っていく。
 確かにオレは存在したんだから。
 そうやって考えると、人生って楽しいな、って思えるし、
 もっと楽しむことができる。それって最高だろ?”

ぼくは終わりのことばかり考えて旅をしていた。
後何日であそこまで行かなきゃならない、
もうあそこには行けないかもしれないから行っとかなきゃ、
お金が後いくらしかないからそろそろ移動しよう、
絶対にあの国まで行ってから帰るんだ……
色んな思いが絶えずぼくを締め付けていた。
一見自由気ままに旅をしているようで、
実のところは自由でも何でもなかった。
常に様々な制約に縛られ続けていた。

実際あの人が言っていたように、
日本に帰ってもぼくの旅は終わらなかった。
未だにあの長い旅から抜け出せないでいる、
と言ってもいいかもしれない。
それは決して彼の言うような永遠性を伴った自由な感覚ではなく
不安定で自分を確立しきれない辛いものであったりする。
でもぼくは、あの旅の日々を忘れることはないだろうし、
あのとき感じた、体が軽くなるような自由な世界があることは、
心のどこかで憶えている。
ぼくにとってそれは生きていく上で最も重要な、
希望的な出来事につながっているのかもしれない。
一度開いた感覚は、信じる、という行為に成り変わって
ずっと存続していく。
今のぼくは確かに何かを信じている。

人生とは旅である、なんて使い古された臭い言葉を
大真面目に主張しているぼくなのだ。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。