旅というものは、いかに自分の行く地域についての情報をあらかじめ集めておくかで、その旅の内容も変わってくる。
情報がないと、闇両替でレートがわからずボラれてしまったり、たいして良くない高いゲストハウスに泊まってしまったり、見所を知らずに通り過ぎてしまったりする。
基本的には一冊のガイドブックも持っていないバックパッカーというのはいないだろう。
なかにはガイドブックを一切持たない人もいるかもしれないが、旅先で会った日本人にガイドブックを見せてもらったりして、結局のところは使用しているわけで、純粋にガイドブックに頼らない人はおそらくいないと思う。
とはいっても、ガイドブックが全ての国や地域をカバーしているわけではないし、また自分の行く全ての国のガイドブックを持っていくというのも、長期旅行者となると何十国ものガイドブックを持っていく事になり、現実的でない。
そこで、行く先々で情報を集めていくことになる。
だいたい日本人の溜まっているゲストハウスには、情報ノートというのがあり、旅人がいろんな情報を残していくので、それにお世話になる。
私自身も何度もお世話になったし、自分の情報を書いていくこともある。
ほかには、日本人旅行者と会ったときに、その人が、逆方向から来ていたりすれば、お互いに情報を交換し、レートはいくらだとか、どこの宿がいいとか、あそこの国はどこがよかったとか、人がすれてるとかすれてないとか、そんな会話に花が咲くわけである。
いわゆる「口コミ」というやつである。
そして交換した情報のなかには、単に話しとしても面白いものがあったりして、そしてその面白い話は、また他の旅人に話し、その旅人がまた他の国で他の旅人に話し、驚くべき速さで、そしていささか誇張されながら世界中に広まっていく。
そしてそれはやがて噂としてささやかれるようになる。
私がインドを後にして目指したパキスタンという国にはそんな噂のある国だった。
その噂というのはこうだ。
インドとの国境近くにラホールという街がある。
インドから入って、始めての大きな街なので、たいていここで何泊かすることになる。
そこの駅前のホテルというのが要注意だというのだ。
パキスタンというのはホモの多い国らしい。
その駅前のホテルで男性の旅人が、ホモに襲われるというのだ。
だいたい噂としてささやかれる手口というのは決まっている。
まず駅前のホテルにチェックインしたあと、街を歩いていて、まずどこかでパキスタン人にチャイをおごられる。
旅人は睡眠薬が入っているとは知らずにそれを飲んでしまい、強烈な眠気に襲われる。
そして、なんとか宿にもどり、ベッドに倒れ込んで寝込んでしまう。
一応鍵は閉めるが、そんな事に意味はない。
そのうちしばらくたって、天井がするする開いて、あるいは壁が回転扉になっていて、屈強な男が部屋に侵入する。
当然睡眠薬入りのチャイを飲んでしまった旅人は、そのことに気づかずに眠っているわけで、あとは男の思うがままに弄ばれてしまう。
翌朝、旅人が目を覚ますと、お尻の穴が痛いというわけだ。
そして、髭がすくなくて細身の日本人がホモのターゲットになりやすいらしい。
まあ、いくつかのパターンがあるが、基本のパターンはこんな感じだ。
私がインドのバラナシあたりで、
『これからパキスタンに行きます』
なんて言うと、
『じゃあ、ホモに気を付けないとね』
なんてふうに、冗談とも本気ともとれないような口調で他の旅人が言う。
この話は実に有名で、別にパキスタンのお隣のインドでなくても、この話を聞くことができる。
そして、この話がいつ頃から噂として世界中を走り回っているかというと、定かではない。
私が始めてこの話を聞いたのは7年前のバンコクだった。
その時、バンコクからミャンマー経由のカルカッタまでのエアチケットと買ったときに、その旅行代理店のオーナーが、
『もし、パキスタンに行くのなら、気をつけたほうがいい』
と言って真顔で教えてくれた。
その時は相当にびびって、
『絶対にパキスタンなんかに行くもんか』
と本気で思ったものだった。
その旅では時間の都合で、インドまでだったが、今回アジアを横断する事になって、当然パキスタンに行く事になった。
インドのデリーで、ビザを待ったり、写真を現像したりと用事を済ませて、まずはアムリトサルという街へと向かった。
そこで1泊し、シーク教徒の聖地である黄金寺院を見学し、パキスタンへと向かった。
アムリトサルを朝出て、バスでボーダー近くの街へ行き、そこからリクシャをつかまえて、ボーダーへと行った。
ボーダー付近は畑が続いていた。
ただ、畑といっても、この時期には何も作物を作ってはいないようで、ただの茶色い平原だった。
その平原のなかに突然、2、3台の戦車が駐車してあったりして、インドとパキスタンの国際的な関係を実感はしたが、その戦車がなければ至って平和な田舎である。
インド側のイミグレはあっという間に通過し、歩いてパキスタンへと入ってそこでスタンプをもらい、カスタムチェックへと行った。
そこにパキスタン人の係員がいたが、
『今ボスがお祈りしているから、ちょっと待ってくれ』
と言われ、1時間くらい待たされた。
なるほど、イスラム圏に入ったぞと思った。
さんざん待った揚げ句、そのボスが来て、
『日本人か。いい国だ。フンザへ行くのか。あそこはいい所だが、今は寒いぞ。それじゃ、良い旅を』
と言われただけで、カスタムチェックが終わって、ちょっと拍子抜けだった。
だったら、早く通してくれれば良かったのにという感じである。
そんなわけで無事にボーダーを通過して、そこでバスを待っていると、暇そうな男たちがよってきた。
暇そうな男たちというのは、アジアを旅すればどこにでもいて、やはりパキスタンでも例外ではなかった。
なかには旅人からなんとかして、金をふんだくろうという輩も多いが、彼らは純粋に暇そうだった。
そこでチャイを飲んで彼らと雑談しているうちにバスがやってきた。
『それじゃ、もう行くよ』
と私が言うと、彼らのうちの一人が、自分の腕につけていたブレスレットを記念にと言ってくれた。
それはどっから見ても高そうなものではなく、快く受け取った。
『なるほど、そんなに悪そうな国じゃないな、パキスタンは』
と思い始めた。
バスは前方が女性専用になっていて、後方が男性専用と別れていた。
当然私は男性専用の方だ。
バスは満員まではいかないが、けっこう人が載っていて、みんなが表情もなく、じっと私を見つめている。
結構外国人が通るルートだから、日本人が珍しいわけでないと思うのだが、やはり興味があるのだろう。
この視線攻撃というのは結構精神的につらいときがある。
とくに女性の一人旅でインドや中東に行くと嫌な思いをする事も多いだろう。
私とて、それが心地良いわけでは絶対ないが、視線攻撃をする連中にこっちから軽く会釈をすると、たいてい無表情の相手も笑ってくれて、あるいは笑ってくれなくとも
軽く肯いてくれて、お互いにどこの誰だかわからない不信感みたいなものが消えて、これはなかなか効果的であることを経験的に覚えた。
このときも視線攻撃をする男たちに片っ端から、会釈をしていった。
そうして、相手も笑ってくれると、こっちも気が楽になり、英語でちょっとした会話をしたりして、なかなか悪くない時間だった。
そして1時間ばかりでラホールへと着いた。
さて、と私は思った。
例の噂を確かめるために、駅前のホテルに泊まってみるほど、私は物好きではない。
やはりガイドブックにある、安全そうなホテルに行く事にした。
それにしてもホモに襲われるというパキスタンもおかしいが、それを考えると、女性のバックパッカーというのは大変だ。
バスを降りて、市バスを乗り継ぎクイーンズウェイというホテルに着いた。
パキスタンはその例のホモに襲われるという噂を除けは、バックパッカーに人気がある。
パキスタンは人がいいと評判の国だった。
それはイスラム教に旅人に親切を施すようにという教えがあるらしいためだ。
私はそのホテルで、もちろんホモに襲われることはなかった。
しかし、私はここで、早くもパキスタン人の親切さを実感することになった。
そこのホテルのフロントには、人が3人ほど座れるソファーとテーブルがおいてあった。
それはロビーなんて呼ぶにはふさわしく無いほどの狭さであったが、たいていいつもパキスタン人の旅行者が何人かいて、レセプションのオーナーのおやじと何か喋っている。
私がそこを通る度に、そこに溜まっている誰かに呼び止められ、
『チャーイ飲んでいかんか』
と言われる。
最初は例の噂があるだけに警戒しないでもなかったが、このホテルの大丈夫だろうと
思って頂戴する事にした。
もちろんなんともない。
そして、それが毎回である。
毎回私がそこを通る度に誰かしらからチャーイをご馳走になった。
ある時、そこでカレーとチャパティーを食べている親子がいた。
その親父の方が例によっって
『チャーイのんでいかんか』
と言う。
いつものようにご馳走になると、今度はチャパティーを買ってきて、カレーと一緒に食べろと言う。
これまた、悪いなぁと思いながら頂いた。
パキスタンでカレーを食べたのはこれが初めてだったが、個人的にはインドのそれより癖がなく、非常においしかった。
それでお礼にと思って、部屋から小さいプリクラサイズのインスタントカメラを取ってきて、彼らを撮ってあげた。
私は写真が好きで一眼レフと、コンパクトカメラを持ち歩いているが、さらに遊びでインスタントカメラも持っている。
現地にお世話になった人たちにお礼代わりに撮って渡したりしている。
しかし、下手にそれを出すと、たちまち行列ができてしまうので、たまにしか出さない。
それで親子を撮るとやはり喜んでくれて、こちらも嬉しかった。
それで食事のお礼を言って立ち去ろうとすると、今度はその13歳くらいの息子が首に付けていた、オレンジ色の石に紐を通したペンダントをくれるという。
最初はさすがに断ったが、押し切られ頂戴することにした。
何もパキスタン人の人の良さは、なにもホテルの中だけには限らない。
あるときラホールを歩いていると、プラオという一見焼き飯みたなものを作ってビニール袋につめている人たちがいた。
私が通りかかると、声をかけられた。
そして、突然そのビニールに入ったプラオをもっていけという。
『それは売り物だろう?別にいらないよ』
と言うと、金はいらないからと言って、強引にその一つを持たされた。
また、チャイを売る屋台で、チャイを飲んで休んでいるときだった。
1杯飲んで、たばこを吸い、金を払おうとすると、屋台のおやじが金はいらないと言う。
何故かと尋ねると、前に座っていた男が私の分まで払って行ったというのだ。
確かにその男とは、あいさつくらいの会話は交わして、私にしきりに何か言って立ち去って言ったが、それを伝えたかったのだった。
それに気づいたときには彼はもう行ってしまった後で、私はお礼も言えなかった。
と、まあ、こんな感じて書いているときりがない。
チャイをおごられたことは数え切れないほどあった。
さらにギルギットという、パキスタン北部の街でのことである。
そこは、パキスタンの一大観光地であるフンザの入り口の街である。
私はラホールから北上し、その街で一泊し、フンザへ行き、フンザで1週間ほど過ごし、またギルギットに戻って来た。
その街は、行くときにも通ったので、泊まらないで寝台バスに乗って、さらに次の街へと進むつもりだった。
しかしバスのチケットを買おうとすると、途中の道が地震のため崩れが起きて、バスの運行がストップし、そこで足止めを食うことになった。
次の日には出れるかと思ったが、結局3日もそこで待たされることになった。
私は毎日バス会社に
『今日はバスが出るのか?』
と確認する以外には特にやることもなく、暇をもてあましていた。
やる事と言えば、チャイ屋に行って、甘いチャイをすすりたばこを吹かすことぐらい
で、そんな風に時間をつぶしていた。
確か、足止めを食らって二日目のことだと思う。
いつものように、バス会社に行って、今日もバスが出ないと言われ、またチャイ屋でチャイを飲んでいた。
あいにくテーブルがいっぱいで、私は髭を蓄え、ジャケットを着た、30代の紳士風の男と相席した。
するとその男が早速話し掛けてきた。
『私はこのチャイ屋の裏で工場を経営しているんだ。
何を作っているかって?
洋服の工場だよ。
このジャケットもうちでつくったものだ。
よかったら見学にこないか?』
と誘われた。
私は洋服の工場にははっきりいって興味はなかった。
それに一通り見た後、結局何かを買わされるのがオチだ。
とは言っても暇で暇でしょうがなかったし、何か買うように薦められても、断ればいいだけの話しなので行って見ることにした。
その工場はチャイ屋の真裏にあり、一見工場とはわからず、ちょっと大きい平屋みたいだと思った。
中に入ると商談用のロビーがあり、そのさらに中に工場があって、数台のミシンがあった。
ミシンは懐かしい足漕ぎ式のもので、数人の女性がせっせと何かを作っていた。
『ここのテーブルで型をつくって、こっちのミシンでシャツを縫って・・・』
という風に一生懸命説明してくれた。
その説明の後、商談用のロビーでチャイをごちそうしてくれて、何冊かのカラーのパンフレットを見せてくれた。
『うちはいくつかの学校の制服をつくっていて、それが主な収入だ。
しかし、紳士服のジャケットもオーダーメイドで作っている。』
パンフレットには学生服の写真がいくつもあった。
私がそのパンフレットをぱらぱらめくっていると、突然奥からジャケットとヘンプのTシャツをもってきて、どっちが好きかと聞いて来た。
私は、来たぞと思った。
あとは適当に断って退散するかと考えていると、
『プレゼント フォー ユウ』
と言うではないか。
ジャケットにしてもヘンプのTシャツにしても、新しくどう見ても売り物であった。
『本当にもらっていいの?』
と何度も念を押すと、どうやら本当らしい。
ジャケットをもらっても、バックパックを背負ってははどう考えても似合わないでの、Tシャツのほうを頂くことにした。
『じゃ、Tシャツを・・・』
というと、従業員の一人が綺麗に折ってビニールに入れ、タグまでつけてくれた。
どう見ても売り物だ。
私はありがたく頂いて、何度も礼を言って店を出た。
パキスタンのホモの噂は、運良くそれを実感することはなかった。
しかし、パキスタン人が旅人に対して親切だということは肌で実感した。
人がいいとか悪いとか、どこの場所が面白いとか面白くないとか、そんな話しは主観的すぎて、感じる側によって、かなり印象というは変わってくる。
でも、このパキスタン人の親切さというのは、10人いれば8人は同じく親切だと答えるのではないだろうか。
パキスタンは私にとって初めてのイスラム国家だったので、行く前はちょっと良く分らない国だなぁと思って不安もあった。
でも実際行ってみると人々は親切で過ごし易い国だ。
私のなかでのパキスタンはそんな風に映った。