黄山風景

私は待っていた。
霧が晴れるのをである。
もう1時間以上はなにもせず、ベンチに座って待っている。
疲労はもうとっくに限界を超え、そのだるさが心地よくさえ感じている。
ここは黄山の光明頂というところである。
山の上なので何もやることもない。
ただぼんやりと周りを見ているが、霧に中にいて何も見えない。
ここが標高1800メートルとは思えない。
見えるのは、ツアーの中国人登山客のみだ。
大勢の人たちがここに来ていたが、
やはり雲海が見えなくて残念そうである。

黄山は雲海と御来光が美しいことで有名である。
そしてその名所が私のいる、光明頂というところだ。
地図で見ると黄山は上海の左下あたりにある。
香港から北京に行く途中ここに訪れた。
雲海と御来光、そしてガイドブックの「水墨画のような風景」
という文句に惹かれてしまったのだ。
ここは世界遺産にも登録されている。
中国人は誰もが一度は訪れたいと思っている、
有名な山らしい。

香港から国際列車に乗り杭州まで来て、
そこからさらにバスに揺られ黄山の麓に来た。
麓には小さな温泉街がありそこに1泊した。
翌日、ほとんどの荷物を宿に預け、
カメラと洗面用具のみを持って山を登った。
黄山は山頂でも1800メートルと少ししかなく、
しかも山の麓から中腹までロープウエイがあり、
日帰りでも登山も可能な山だった。
しかしあえて私はロープウエイを使わなかった。
山という自然を相手にするのに、わたしも自分の力で登りたい、
などどいう気は全くなかった。
単にロープウエイがあまりに混んでいて、
乗るまでに1時間以上かかると言われたからだ。
地図を見ると、ロープウエイの降車口まで約7.5キロと書いてある。
2時間ほどで着くと思った。
1時間ロープウエイを待つよりは、2時間かけて登った方がいい。
しかし、念の為、他の中国人が持っているものと同じ杖を買い、
登りはじめた。

最初は良かった。
木々の間を軽やかな足取りで登って行く。
「登山は楽しいなぁ」
などど独り言えたのはここまでだった。
しかしものの15分で息がきれてきた。
汗がTシャツを濡らし、それが体温を奪う。
しかし体はまた汗をかく。
気温が低いので、その日はTシャツに長袖シャツを1枚着ていたが、
暑いのか寒いのかわからなくなってきた。

登山道のほとんどが石段でできていたが、
その勾配があまりに急で、まるで筋肉トレーニングだった。
やはり杖を買っておいて良かった。
それでもはじめの1時間はまだ頑張れた。
次の1時間は休んでは進み、また休むということを繰り返してきた。
その次になると、もう足も上がらず、
10歩進んで、息を整えるありさまだった。
しまいには頼りの杖もあまりに負担を掛けすぎ折れてしまった。
そしてやっとの思いで、ロープウエイの降車口に着いたのは、
上りはじめてから、もう3時間半以上たっていた。
ロープウエイでわずか10分のことろを3時間半かけて登ったわけだ。

しかしそこは、山の中腹に過ぎない。
そこから私は光明頂という場所まで行かなければならなかった。
しかし、その後の苦しさはよく覚えていない。
ほとんどやけくそだった。
全てがどうでもよくなってきた。
ただ早く目的地に着きたかった。

ここに来た目的は雲海と御来光を見ることだったが、
高度があがってもいっこうに霧が晴れない。
晴れないどころか、ほとんど霧の中を歩いているといっていい。
こんなんで本当に雲海など見れるのだろうかと、それが不安だった。
ロープウエイの降車口からまた3時間休み休み歩いて、
目的の光明頂に着いた。
そこにはやはり雲海などはなく、霧の中だった。
私は途方に暮れてながら、そこに一つしかないホテルにチェックインした。

光明頂にはベンチや売店があり、休憩できるようになっている。
私はなにもせず、そこに座っていた。
やることといえば、カメラの作動をチェックするくらいで、
他には何もやることがない。
もってきた本も、すべて麓のホテルに預けてきていた。
ただ雲海の写真を撮りたくて、霧が晴れるのを待っていたのだ。
霧が晴れる様子は全くなかったが、ここまで苦労して登って、
なにも見れないんじゃあきらめ切れないと思った。
しかし日も暮れようとしたときだった。
まずは太陽が顔を出した。
すると、辺りを覆っていた霧は、見る見る蒸発し、
風が吹き、視界が開けてくる。
まるで何かが始まるような予感がした。
そして実際それ始まった。
山並みが徐々にその姿を現し始めた。
太陽は辺りを照らしながら、わずか15分余りその姿を見せた。
辺りを覆っていた霧は、雲海へと変わり、
太陽は山の寺院をシルエットに映し出した。
うるさかったツアー客も、とっくにあきらめ下山し、
辺りに人は少なかった。
私は眼前の風景を見続けた。
そして静かにシャッターを切った。
その雲海はガイドブックの写真にあるような完璧なものではなかった。
しかしそれは私を捕らえて放さなかった。

太陽はまた霧の中へと沈んでいった。
まるで気まぐれにその姿を見せに来たようだった。
その時私の体は極限に疲れていたが、
黄山に登って良かったと、その時初めて思えた。

黄山のもう一つのハイライトが御来光である。
しかし翌日の御来光は見えなかった。
太陽が私に微笑まなかったのではない。
中国人が私に微笑まなかったのだ。
御来光の撮影ポイントは、昨日のうちにチェックしていた。
方位磁石で、太陽の登る方角を確かめおいたから、
ぬかりはなかったはずだった。
日の出が午前5時くらいと聞いていたので、
4時40分にはそこに向かった。
しかしそこにはすでに先客がいた。
それも一人や二人ではない。
百人、二百人である。
いやもしかしたら五百人はいたかもしれない。
いや千人はいたかも。
とにかく押し合い圧し合いで良い場所を求め、人の群れが移動している。
そこには譲り合いの精神も、秩序もない。
立ち入り禁止のフェンスを乗り越え、
岩に登り、ひたすら御来光が初めに当たる場所を求めている。
光明頂に泊まった人も多いようだが、
麓から、御来光に合わせて登ってきたツアー客も多いらしい。
とにかくそんななかで、私が三脚を立てたところで何も写るわけではない。
中国人しか写らないだろう。
もちろん中国人の人込みをかきわけて、最前列に行くほどのパワーはなかった。
そうやっていた中国人もいたにはいたが、私にはできなかった。
なんとなく
「負けたなぁ」
と思ってしまった。
中国人にである。
御来光自体は多分綺麗だったのだろう。
日の出の瞬間、拍手が沸き起こっていた。
私は雲海からではなく、中国人の背中から登る御来光を拝むしかなかった。

中国の自然に触れるはずの、黄山登山であるが、
中国人の本質を垣間見たような登山になってしまった。
しかしこれが中国なのかもしれないと、妙に納得してしまった。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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