安岡は、うろたえながら再び深々と頭を下げた。智は、いいよ、いいよ、とそれを制すると、思い出したように安岡に尋ねた。
「あっ、そうだ。安岡君、結局この後、どこ行くか決めたの?」
安岡は、いえ、まだっすけど……、と口籠った。
「もし昨日言ってたマニカランへ行くんだったら、町の入り口に、マニカラン・コーヒーショップっていう店があるから寄ってみてよ。アナンとプレマっていうインド人夫婦がやってる店で、岳志さんって日本人がいると思うから尋ねてみるといいよ。ガンジャやチャラスのことなら何でも教えてくれるよ。いい人だからさ。会ってみるといい。さっきあげたチラムのことも良く知ってるし。俺から貰ったんだって分かれば、すぐに仲良くなれると思うよ。あと、ココナッツ作ってくれたクレイジーなババもいるから。インドで最初にこれだけディープな所へ行っておけば、後はどんな街へ行ったってへっちゃらだからさ。
行ってみるのもいいかもよ」
「智さんの知り合いがいるんっすかあ……。マナリーから近いんっすよね。じゃあ、行ってみようかな……」
智は、安岡の言葉に頷きながら、岳志やマニカラン・コーヒーショップのみんなのことを思い返した。しかしもうそれも、今となっては随分昔のことのように感じられる。ヒマーチャルプラデシュにコーヒーショップを広げる岳志の計画は、果たしてうまく行っているのだろうか?
「それと、もしデリーとかバラナシへ行くようだったら、ひょっとして谷部さんか建さんって人がいるかも知れないから、会ったらよろしく言っておいて。智はパキスタンへ行きましたよ、ってね。谷部さんは、さっき言ってた、そのチラムをくれた人で、あと、建さんは、そのチラムを凄く欲しがってた人だから、狙われないように気をつけて」
笑いながら智はそう言った。
「谷部さんと建さんっすね。分かりました。デリーもバラナシも多分行くと思うんで、もし出会ったらそうお伝えしておきます」
「バラナシはね、安岡くん、行った方がいいと思うよ。その建さんって人が、前、俺にバラナシの話をしてくれたんだけど、その人も恋人を亡くしててさ。色々あってバラナシに辿り着いたんだけど、ガンガーがその人への自分の思いを随分癒してくれたって言ってた。
それって何となく分かる気がするんだよね。あの街は、色々考えさせられる街なんだ。特に、死ってことについて。でも同時に、たくさんの魂を鎮めてくれる場所でもあると思うんだよ。様々なものを流していくガンガーの濁流を眺めていると、忘れかけてたたくさんの懐かしい思い出が、まるでその河の流れに映されてでもいるかのように心の中に甦って来るんだ。俺もいつかもう一度、ガートに腰かけてゆっくりとガンガーを眺められたらなあ、って思う。今回はもう無理だから、また今度、いつの日か、ね」
安岡は、頷きながら真剣な表情で智の話を聞いていた。話終えると智は、パンパンに荷物の詰まったバックパックを重たそうに背負い上げ、ジーンズについた砂や埃を軽く払った。
「いよいよっすね」
安岡がそう言った。
「うん。いよいよだ。元気でね、安岡君。いつの日かまた会おう。素敵なサッカーの先生になってね。応援してる」
智がそう言い終わるか終わらないかという内に、安岡は、目に涙をいっぱい溜めながら強く智の体を抱きしめた。
「分かりました。がんばるっす、きっと、いい先生になってみせるっす」
安岡の声は涙や鼻水でくぐもっている。そんな安岡を見ていると、智の目にも自然と涙が溢れてくる。
「気をつけて、智さん! これから先長い旅、本当にお気をつけて!」
いよいよインドを離れるのだな、と、智は思った。そして別れというのは何度経験してみてもやっぱり辛いものだった。しっかりと安岡の体を抱きしめながら、智はしみじみとそう感じた。