酩酊

「ああ、分かってる、分かってるよ、止めろよ、もう……」

おどける一希をなだめるように、心路はそう言った。一希は、ニヤニヤと意味ありげに微笑みながら、テーブルの上の灰皿に灰を落した。灰皿の横には、ヘロインの粉が散らばっている。心路は、横目でちらりとそれを見ながら一希に言った。

「一希、何摂ってんだ? ちょっと、トゥーマッチじゃねえか?」

一希は、その言葉を聞き返すように心路の方へ耳を傾けた。

「え? 何言ってんの、心路、トゥーマッチ? 誰が? この俺が? そんな訳ねぇじゃん? 平気だよ、だってこの俺だぜ? 大丈夫に決まってんじゃん、何言ってんだよ、心路? ハハハハハァ」

一希は、両手で心路の肩を掴むと軽く揺さぶりながらそう言った。心路は、鬱陶しそうに、ふざけんなよ、と言いながらその手を振り払い、一希の体を突き飛ばした。突き飛ばされた勢いで、一希は、どん、と音を立てて壁に当たると、声を出して笑いながら床に倒れ込んだ。そしてそのままの姿勢でポケットの中をごそごそと探って、何か小さな赤い紙片のようなものを取り出した。更にそれを一欠け切り取ると、人差し指の上に乗せ、ペロリと舌を出して舐め上げた。床に捨てられた残りの紙片には、赤い下地に、黒く、肖像画のようなものがプリントされていた。一希の舐めたそれは、どうやらLSDらしかった。

「おい、一希! 何やってんだよ、それ、”ゲバラ”じゃねえかよ! お前、そんなにキマッてんのにその上そんなもん喰うんじゃねぇよ、やめとけよ、一希!」

心路は、とっさに一希に飛びかかり、舌の上のアシッドを奪い取ろうとした。しかしそんなことができる訳もなく、一希は、難無く舌を引っ込めて心路の鼻先で、残念でした、と言わんばかりに人差し指を左右に振った。

一希の摂ったアシッドは、キューバ革命の英雄「チェ・ゲバラ」の顔がプリントされた、最近出回り始めたばかりの新作で、それはまだ、ごく一部の者しか手に入れることのできない貴重な代物だった。心路ですら試したことがなく、話に聞く所によると効き目はかなり強いらしい。一枚丸まるいっぺんにやると大変危険なことになるという噂だった。一希は、様々なドラッグでかなり酩酊した状態で、更にそれを一枚摂ったのだ。心路が心配するのも無理はなかった。しかし一希は、心路のそんな心配をよそにニコニコしながらそのアシッドを舐めている。心路は、諦めるように首を振った。

「一希、お前、一体どうしたんだよ……。最近、ちょっとおかしいぜ? 何があったのか知らないけど、そんな無茶ばっかりしてんじゃねえよ。もし何かあるんだったら、話してみろよ。一人で抱え込んでいないでさ。そんな自棄になってても仕方ないだろ?」

心路が諭すようにそう言うと、一希は、いきなり飛びかかって心路の胸ぐらを掴んだ。

「自棄? 自棄になんてなってないぜ、俺は、ヨウ、心路。昔からこうじゃん? 俺はさ、だろ? 何にも変わっちゃいないぜ、何にもな」

一希は、そう言うと心路の頭を両手で固定して突然唇にキスをした。ふいを突かれた心路は、慌てて一希の腕を振り払って、何すんだよ!、と言いながら、袖口で大袈裟に唇を拭った。一希は、大きな口を開けてケタケタと笑いながら、後ろ向きに倒れ込んだ。そして灰皿の上で燃え尽きようとしている煙草を手に取って、満足そうに片肘をつきながら横になった。そして、殆ど燃えかすのようなその煙草を一服大きく吸い込んだ。

「あのさ、人が死んだんだよ。バラナシで。ガンガーに流されて」

突然の一希のそのセリフに、心路と智は驚いて一希を振り返った。

「えっ、何だって?」

心路がもう一度そう聞き返すと、一希は再びゆっくりとこう言った。

「だからぁ、バラナシで、日本人が、ガンガーに流されて、死んだんだ」

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