彫りの練習

そんな伝説の男、仁が、まことしやかにそう言うので、その場にいた全員は、まるで高名なチャラス評論家から発せられたありがたい御託宣のようにその言葉を賜り、更に輪をかけて智のチャラスを賞賛するのだった。しかし、いくらそのチャラスが上質のものであろうとも、四六時中アシッドやエクスタシーなどの向精神薬でぶっ飛んでいる彼らのようなパーティーフリーク達が正確な判断など下せられる筈もなく、智は、皆いいかげんなものなんだな、と幾分呆れながら、ギンギンにキマッている彼らをなだめるようにしてあしらっていた。  
「しかし、智がこんなの仕入れて来てたとはな。知らなかったよ。何だよ、もっと早く教えてくれれば良かったのに」

心路は、智を責めるようにそう言った。

「ごめん、ごめん。別に隠してる訳じゃなかったんだけど、心路達といるといつもジョイントが回ってるからさ。ついつい出しそびれちゃって」

智は、申し訳なさそうに心路に詫びた。心路は、嘘、嘘、気にしなくていいんだよ、と笑いながら首を振った。するとその時、仁達が座っている所から一希が大声で何か喋っているのが聞こえてきた。

「仁さん、バケボンやりましょうよ、バケボン! こんな、いいクリームがあるんだ。バケボンでやったらきっとブッ飛んじゃいますよ!」

一希は、仁の鼻先で挑発するようにそう言っていた。

「いや、俺はもう十分キマッてるからいいよ。一希達でやってくれ」

仁は、胡座をかいた姿勢のまま背筋をしゃんと伸ばして、薄目で一希を見ながら物静かにそう言った。

薄暗い部屋の中で、仁の青白い肌がぼんやりと浮かび上がっていた。長袖を着た腕の先からトライバルのタトゥーを覗かせている。きっと服で隠された全身にはおびただしい数のタトゥーが彫り込まれているに違いない。多くのタトゥー職人がそうするように、仁も、自分の体を使って彫りの練習をしていたという噂を聞いたことがある。しかし仁は、ゴアのようにどんなに暑い地域でも必ず長袖を着ていたため、誰も彼の上半身のタトゥーを見たことがなかったのだ。ただ、太腿から膝下にかけて一面に彫られた、美しい原始的な幾何学模様は、仁がよく膝丈のパンツを履いていたせいもあって、皆知っていた。そして仁が自分で彫ったというその彫りの見事さに惚れ込んで、たくさんのレイヴァー達が仁にタトゥーを依頼した。そして噂が噂を呼んで、それらの者は、今もなお後を絶たない。

それほど仁が有名なだけに、仁の上半身のタトゥーがどれだけ凄いものなのか皆こぞって知りたがったが、仁は、決してそれを見せようとはしなかった。人前で肌を露出するのを仁は極端に嫌ったのだ。ただ、手首の辺りに袖の裾からちらりちらりと覗かせている青いタトゥーが、皆の想像力をふんだんに掻き立てていた。しかし、口の悪い一希などは、仁さんがタトゥー見せないのはさ、あれ、きっと自分で彫って失敗してるんだぜ、だから誰にも見せられないんだよ、などと陰で冗談まじりに揶揄していたのを、智は、今、向き合っている二人の様子を眺めながら何となく思い出していた。

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