一朝一夕で

智は、当初、手でカレーを食べるということに対してどうしても抵抗があった。日本食で言うと寿司やおにぎりなどのように形の整ったものならまだしも、カレーのような非固形物を手をスプーン代わりにして食べるのは、非合理だし、手がカレーまみれになって見た目もあまりいいものとは言えない。食べにくいばかりでなく、非衛生的でもある。しかしインドに長く滞在し徐々にインド文化に慣れていくに従って、今まで見えなかった様々なものが見えるようになり、それまでとても理解できなかったようなことが何とか理解できるようになってきた。そしてそれにつれて、インドの食習慣に対して智が抱いていた印象も、だんだんと変わっていったのだ。

例えば、インド人は、コップで水を回し飲みするときなど決して直接口を付けない。口から少し離して、コップから水を落すようにしてそのまま流し込む。口からこぼさないように、器用にゴクゴクと飲み干してしまうのだ。初めてそれを見たとき智は、それに大変感銘を受けて、すぐさま真似して同じようにしてやってみたのだが、喉に直接水が当たるのでむせ返ってしまい、とてもインド人のように上手くはできなかった。どうやらそれにはコツがいるようで、一朝一夕でできるものではないらしい。では、何故、そんな特別な技術を身に付けてまでコップに口を付けることを避けるのかと言うと、彼らは、他人の使ったコップで水を飲むのが嫌だからなのである。それが、洗ってある、いないに関わらず、一度でも他人が口を付けたものは全て不浄のものとみなし、間接的にでもその食器を使うのは、自分の身を汚す行いであると受け止めているのだ。それは、カレーを手で食べるという行為にも通じており、人の使ったスプーンやフォークを使うぐらいなら、きれいに洗った自分の右手を使った方がよっぽど清潔である、という論理なのだ。言わば、極度の潔癖性と言うこともできる。ちなみに、どんな安食堂にもちゃんと手を洗えるように小さな洗面台が必ず付いており、インド人は、食事の前には必ずそこで丁寧に手を洗っている。同じように、ババや岳志がよくやる、ジョイントを指で挟んで口に付けずに吸う吸い方も同じ理由から来るもので、智はようやくそれを理解するに至ったのだ。それらに気が付いてからの智は、今までとはインド人を見る目が変わり、不潔のように見えていたその行いも全く違ったものに見え始め、拙いながらも彼らの真似をして手でカレーを食べようと試み始めたのだった。

智は、急にその時のことを思い出し、久しぶりに手で食べてみようと思ってスプーンを置いた。すると智のその様子を見たババは、うむうむ、と顎の髭を撫でながら、満足そうに頷いた。

チャラスのキマッた頭で食べるチキンカレーは、えも言われぬ程のおいしさであった。指先に伝わってくる汁のようなカレーの熱さと、ぱさぱさの細長い米の感覚。そして口の粘膜を痺れさせるような、風味を伴った辛さ。それら全てが混ざり合い、智は全身でカレーを味わった。店内の男達は皆カレーを食べている。智の様子を見ていた岳志も、スプーンを置いて手を使って食べ始めた。みんな笑顔だ。笑顔でおいしそうにカレーを食べている。プレマとアナンは、そんなみんなの様子を見てとても満足そうだった。

智は、ふと、ババがチキンを持って来たことを思い出した。そして、それがババが自分の金をはたいて買ってきたものであるかどうかということの真意を、どうしてもババに尋ねてみたくなっていた。

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