「うわぁ! ちょっと、プレマ、そこに誰か立ってるよ!」
驚いた岳志が、ランプに火を灯していたプレマに慌てて声をかけると、プレマはそのまま戸口の方を振り返った。その人物を戸口の所に見留めると、プレマは、打ち解けた様子でその男と二言三言、言葉を交わした。そして笑いながら岳志に話しかけた。
「ノー・プロブレム。ディス・イズ・クレイジーババ。タケー、心配ないよ。いつも来るババなのよ。ちょっとクレイジーだけどね」
どうやら知り合いらしいそのババは、年齢は五十歳から六十歳ぐらいといった所だろうか。肌があまりにも黒いので背景の暗闇に同化して、もし白い服を来ていなかったらずっとそこで立っていたとしても誰も気が付かなかったに違いない。
プレマに声をかけられたババは、頷きながらゆっくりと店内に入ってきて、岳志の横に腰を下ろした。そしてむっつりとした表情でじっと岳志を見つめた。岳志は、少し戸惑いながら、ハイ、と言って愛想笑いを浮かべたが、ババは、それに少しも応じることなく、なおもむっつりとした表情のまま岳志を眺め続けている。彼は、濃紺のターバンで頭を覆っており、眼光は鋭く、黒光りする肌が余計にその鋭さを強調していた。白髪の混じった髭を口の周りに蓬々と蓄えており、彫りが深くしっかりとしたその目鼻立ちは、まるで哲学者のようだった。
インド人の男性は、これぐらいの年齢になると階級や貧富の差を問わず、どうもこのように思慮深げな表情になるものらしく、以前から智はそのことが不思議で仕方がなかった。まるでそれが、インドという国がそのように哲学的な顔立ちを生み出す精神的な国であることを証明しているかのようだった。一体何を考え続ければ、あんな立派な顔立ちになるのだろう? 果たして彼らは、生涯、そんなに大それたことを考えて生きてきたとでも言うのだろうか? 智は、今までインド人を観察し続けてきてそんな疑問を抱かずにはいられなかった。幾つになってもまるで子供のような彼らの行動を見ていると、どうもそんなに難しい人生を歩んできたようにはとても思えなかったが、そういえばこんなこともあったのを、智は今ふと思い出していた。
エロティックなレリーフの施された遺跡があることで有名な、カジュラホという小さな村に智が滞在していたときのことだった。そこで智は、ヒンドゥー語を勉強しているという日本人と知り合って、しばらく一緒に過ごしていたのだが、ある日二人で道を歩いていると、インド人達が輪になって何かを話し込んでいるのを見かけた。智達は気になってその輪に近づいてみると、輪の中心で、初老の男性とまだ彼ほど年をとっていなさそうな中年男性が、盛んに議論を闘わせていた。もちろんそのやりとりはヒンドゥー語でなされていたため、智には一言たりとも理解することができなかったが、智と一緒にいた日本人の彼は、何とか論じられているその内容を理解することができるようだった。智が、一体彼らは何をあんなに熱く語り合っているのか、と彼に尋ねてみた所、彼は少し考えながらこう答えた。