――― 一体、アナンの人生には今まで何があったのだろう? ―――
智は思った。
――― 岳志は、最初に触れて以来決して刑務所の話には触れようとはしないが、やはり、それが彼の孤独の原因なのだろうか。一体アナンは何を見てきたというのだろう……。プレマはプレマで、そんなアナンの暗闇には全く気が付いていないように、いつも満面の笑みを浮かべながらとても元気にアナンに接している。彼女はまるで太陽のように輝いている。アナンもプレマのそんな元気があるからこそ、何とかやっていけるのかも知れないが…… ―――
しかしアナンは、そんな風に暗い顔をしていても、岳志や智が声をかけるとすぐににっこりと微笑んでそれに応えるのだった。アナンのそんな笑顔を見る度、余計に彼の苦悩の深さを智は見るような気がした。そして彼を、気の優しい男なのだな、とつくづくそう思った。この時も、アナンの肩を叩いて岳志がジョイントを回すと、アナンは、すぐににっこりと微笑みながらそれを受け取った。そしてジョイントを吸いながら、智のチャイのグラスが空いているのに気が付けば、もう一杯飲むか?、とか、そろそろ腹が減ってきた頃ではないか?、とか、色々尋ねて気を遣う。そんなアナンの優しさに触れる度、とても心が安らいでいくのを智は感じた。そして、人間の本当に求めているものなど実は何でもない、ただ、こういった少しの優しさにすぎないのであって、それさえ常に実感として感じることができていれば、この地球上につまらないいざこざなど何も無くなり、他人を信じ、お互いを助け合う素晴らしい世界が出来上がるのではないか、と、そんな大げさなことまでも智は夢想するのだった。智は、自分もアナンのように、例えいくら自分の置かれている状況や精神状態が深刻なものであろうとも、それとは関係なく、他人には常に笑顔でいられるようなそんな素晴らしい人間でありたい、とそう思った。しかし最近の自分の行動を振り返ってみるといかに自分がそんな人間からは程遠い、未熟な精神を持っている人間であるかということがありありと実感させられ、智は、とても落ち込んだ気分になるのだった。それは例えばマナリーに来るまでの車掌とのいがみ合いや、その後、八つ当たり気味に周りの人間全てを呪ったことなどを思い出すだけでも十分確信できることだった。智は、目指す道のりの遠く険しいことを身に染みて実感した。
そんなことを智がボーッと考えていると、アナンが、どうかしたのか?、という具合に指につまんだジョイントを智の目の前で左右に揺らした。智は、我に返ってそのジョイントを受け取った。そしてそれを一服吹かしてチャイのグラスを口に持っていこうとしたちょうどその時、戸口の所に誰かがじっと立っていることに気が付いた。智は、驚いて思わず、うわっ、と大きな声を上げた。岳志が、急にどうしたんだよ、と智に尋ねると、智は黙って戸口を指差した。