「アナン、気持ちはありがたいんだけど、ちょっと他を探すことにするよ。まだそんなにツーリストが来てる訳でもなさそうだから、宿も空いてるだろう?」
岳志がそう言うと、アナンは、途端に悲しそうな顔をして、ホワイ?、ホワイ・ノット?、と大きな声で叫びながら両手を広げた。
「どうして? 今は少しごちゃごちゃしてるけど、こんなのすぐに片付けられるよ。ここに泊まっていけばいいじゃないか」
「いや、そうじゃなくってさ、もしここに泊まるとなったら、俺達、一緒のベッドで寝ることになるじゃない?」
そう言って岳志が智の方にちらりと目をやると、アナンは、不思議そうな顔をして、どうしていけないんだ? 君達は友達だろう? 何の問題があるんだ? とどうしても納得のいかない様子だった。どうもインド人達にとっては、例え男同士といえども友達同士であるのなら、同じベッドで寝たりするのは全く抵抗が無いようだ。
これまでインドを旅してきて、男同士が町中で手を繋いで歩いている所を智は良く目撃していた。最初の内は、きっと彼らは同性愛者なのだろうと思って見ていたのだが、その後あまりにも頻繁にそんな光景を見かけるので、そうではなく、それはごく普通の行動なのだと智は思うに至った。そして更には映画館に行った時、目の前の男達が肩を組み頬を寄せ合って映画を鑑賞しているのを発見し、ああ、これは友情の証なのだ、ということを改めて確信したのだった。
だから、アナンが不思議そうに岳志にそう言う気持ちも、分からない訳ではなかった。分からない訳ではなかったが、日本人の智達にとって例え友達同士といえども同じ布団で数日間を過ごすことにはやはり抵抗がある。岳志と智は、アナンを気遣って丁寧に申し出を断ると、また後で来るよ、と二人に言い置いて、とりあえず町の方へと宿探しに出かけた。取り残されたアナンは、少し寂しそうな顔をして、しょんぼりと岳志と智の二人を見送った。
マニカラン・コーヒーショップの坂を越えて少し歩くと、吊り橋のような大きな橋の前に出た。橋の上には様々な色彩のタルチョがはためいており、人や牛がその橋を渡っている所だった。タルチョとは、チベット語の経文が書かれた小さな布のことで、それが所々で見られるこの村は、この地域がチベット文化圏に入りつつあることを示している。実際、橋を渡っている人達の中にも、明らかにチベット人だと分かるような格好をしている人達が何人かいて、人々の顔付きも、この町に入ってから随分と違ったものになっている。
青い空にタルチョのはためくその光景を眺めながら、智は、自然とチベットのことを思い出していた。そして山岳地帯特有のピリッと張りつめた空気を、少し緊張しながら肌に感じていた。