生きた心地

智と岳志は、クルまで行った後、その少し南に行った所にある小さな町からマニカラン行きのバスに乗ろうとしたのだが、それは既に満員になっており、屋根の上に乗る羽目になった。智は、長く旅をしていたが、バスの屋根に乗るのは初めてだったので、少し浮かれた気分になった。何故なら、バックパックを背負ってアジアを旅する者として、バスの屋根に乗って移動をするという、いかにもバックパッカー的な旅のスタイルに、一種の憧れのようなものをずっと抱いていたからだった。

バスの上にはインド人達に混じって、いかにもチャラス目的というのが見え見えな欧米人バックパッカー達が何人かいた。梯子を上ってきた智達と目が会うと、ぼんやりとした目でにっこりと微笑みかけてくる。智も、思わずそれに釣られて微笑み返した。

しばらくして屋根の上も満席となると、ようやくバスは走り出す。細く曲がりくねった山道を、バスは、結構なスピードで軽快に走っていく。辺りは見渡す限りの絶景で、眼下には、うっそうとした森を切り裂くように、深い谷が遥か下方にまで及んでいる。もちろん道は未舗装で、ガードレールなんていう物は無い。屋根の上にいる智達は、バスがカーブを曲がる度、右へ左へふらふら揺れた。さっきまで威勢の良かった智であったが、いざそんな目に合ってみるとまるで生きた心地がしなかった。しかし先程の欧米人達は、そんな智を後目に嬌声をあげながら喜んで騒いでいる。岳志は岳志で、乗り馴れてでもいるのだろうか慌てることもなく、全く落ち着き払った様子で目の前に広がっていく雄大な景色を楽しんでいた。他のインド人達といえば更に何でもない様子で、中には居眠りまでしている老人の姿もあった。智は、そんな彼らの様子に驚くのを通り越して感心してしまい、ひょっとしたらこんなに怖がっているのは自分だけなのではないだろうか、と疑問を感じて辺りを見回すと、インド人の小さな女の子が泣き出さんばかりの表情で必死に母親にしがみついていた。どうやら怖がっているのは智と彼女の二人だけのようで、智は思わず苦笑してしまった。その後の智は、ある時は見ず知らずのインド人の腕に掴まり、又ある時は前方から迫り来る木の枝をよけながら、決死の覚悟で危険なバスの旅を乗り切った。マニカランに着いて地上に立った時には、膝ががくがく震えて思わず倒れそうになった程だった。

「大丈夫? サトシ」 

岳志が、笑いながら智のその様を見て言った。

「大丈夫じゃないですよ……。岳志さん、よく平気でしたよねえ」

智は、何とか踏んばろうと揺れる膝を押さえながらそう言った。

「あんなの別に怖くないじゃん。だって誰も怖がってる人なんていなかっただろ?」

智のその姿を見て、岳志は、吹き出しそうになるのを必死にこらえながらそう言った。智は、岳志のそんな様子を非難のこもった視線で見つめ返した。

「いましたよ」
「本当?」

思わず岳志は聞き返す。

「いましたよ。女の子が」

智がそう言うと、岳志は、少し考えるように思いを巡らせ、やがて何かを思い出したかのように再び大声で笑いだした。

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