さわやかな香り

奈々はまだ泣いていた。奈々の髪からは女の匂いが漂ってくる。女と擦れ違った時に残される、あの香りだ。シャンプーというか、化粧品というか、香水というかそんなのが混ざったような、さわやかな香りだ。智は、そっと奈々の髪を撫でた。

しばらくすると奈々は、ようやく落ち着きを取り戻し智から体を離した。奈々の眼鏡は涙で曇っており、それに気が付くと奈々は、眼鏡を外してTシャツの裾で恥ずかしそうに濡れたレンズを拭き取った。眼鏡を外した奈々の目は、思っていたよりも大きかった。それは、愛くるしい、きれいな瞳だった。眼鏡をかけ直すと奈々は、ようやく変形した智の顔に気が付いて、心配そうに智に尋ねた。

「大丈夫ですか? 痛くないですか?」

奈々は、智の腫れた頬をそっと撫でた。

「ああ、やっぱりちょっと痛むけど、大丈夫。そんなにひどくはないみたい。頭はまだフラフラするけどね」
「痛いに決まってますよね。やだ、私ったら何聞いてるんだろ。ごめんなさい、智さん。私が智さんの心配しなくちゃいけないのに、私ったら取り乱してしまって。こんなに腫れていますよ。病院行かなくても大丈夫ですか?」
「ああ、いいよ、いいよ、これぐらい。放っとけばそのうち治るから。それより病院行かなくちゃいけないのは、あの二人の方だよ」

智は、心配する奈々を制してそう言った。

「それはそうかも知れないですけど……」

奈々は智の頬を撫でている。ふいに智は奈々のことをとても愛おしく感じた。そして、彼女の体をゆっくりと抱きしめた。奈々は、そのまま智に身を任せ智の胸に顔を埋めた。

「本当に好き。大好き……」

智の胸にしがみつきながら奈々はそう言った。智も、そう思った。奈々のことを愛している、と思った。

奈々の体を強く抱いた。奈々の華奢な体が、智の体に無防備に包まれている。このまま力の限り抱きしめて、粉々に砕いてしまいたい、そんな加虐的な欲求がふいに智を襲う。智は、奈々の背中を撫で回した。奈々の痩せた背中の曲線に、ブラジャーの作る凹凸をたまに感じる。奈々は、智の手の動きに敏感に反応して顔を上げた。智は、そのまま唇を求めた。奈々の唇に触れた時、切れた口の中が少し痛んだ。しかしそんなことは気にならない。智は激しく奈々の舌を吸った。

するとその時、再び扉をノックする音がした。さすがに二人は驚いて飛び上がった。そして黙って扉を見つめる。

「智さぁん。すいませぇん。いらっしゃいませんかぁ?」

智の顔を見て奈々が、安代姉さんだ、と小声で言った。二人は、乱れた衣服を整えると改めて座り直した。

「ああ、いるよ、ちょっと待って」

そう言いながら智は扉を開けた。扉の外は、予想外に明るく眩しかった。部屋の中に猛烈な日光が差し込んだ。思わず智は目を細めた。

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