ビザの申請

次の日、智は、パキスタン大使館へビザの申請をしに行った。もう、一刻も早くデリーを出たかったからだ。昨日の一件が相当堪えた。デリーに着いたばかりの頃は、しばらくのんびりしていようと思ってはいたものの、どうやらデリーは智には合わないようだった。どうもここに来てからというもの、精神的にも肉体的にも不安定な状態が続き過ぎている。これ以上いると、ますます気が滅入っていきそうな気がした。しかし、ビザの申請はしたものの、発給までは一週間程時間がかかる。こんなことならさっさと済ませておけば良かった、と智は心底後悔した。その間にどこかへ行ってまた戻って来るという手もあったが、先日現像した膨大な数の写真を日本に送ってしまわなければならないし、その料金を支払うため、銀行へ行ってお金を両替えしておかないといけない。その手間を考えると、そこまで十分な時間がある訳ではなかった。インドの銀行では外貨を両替えするだけのことでも、恐ろしく時間がかかる。下手すると、それで一日が潰れてしまうこともあるのだ。智は、それらのことを考えるとほとほとうんざりした気分になった。

「サートーシさん」

いきなり名前を呼ばれ、驚いて振り返ると奈々がいた。

「何してるんですかぁ?」

智は、メインバザールの土産物屋の軒先を何となく眺めていた所だった。

「ああ、奈々ちゃん。いや、別に何してるって訳でもないんだけどね。ちょっとぶらぶらしているだけで……。安代ちゃんは? 一緒じゃないの?」
「ええ。安代姉さんはチケット買いに行ってます」
「何のチケット?」
「電車のです」
「どこ行きの?」
「アーグラーです」
「ああ、タージ・マハルを見に行くんだね」

奈々は笑顔で頷いた。

智と奈々はしばらくメインバザールを練り歩いた。といっても智は、もうメインバザールには何の興味も無くなっているので、奈々に付き合っていただけのことなのだが。奈々と安代のこれまでしてきた旅の話を詳しく聞いてみると、彼女達は、日本からまずカルカッタに飛行機で入り、それからバラナシを経て、デリーへと来たらしい。そしてこれからアーグラーでタージ・マハルを見るのだそうだ。

「俺、タージ・マハル、見たことないんだよね」

智が、ちょっと照れながらそう言った。インドを長期で旅している者なら、大体、タージ・マハルぐらいは見ているものなのだ。

「えっ、そうなんですか?」

黒縁眼鏡越しに奈々が、クリッとした黒い目で智を見返した。智は、自嘲的な笑みを浮かべながら頷いた。

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