「俺だって、人の為になんて到底生きられない。昨日も話したけど、俺は、人のことなんて何も顧みず、自分のためだけに生きてきた男だ。今さらそんなこと簡単にできるもんじゃない。いや、正直に言うと、半ば諦めかけているのかも知れないな。だって、人のために命を捧げるなんて人間業じゃないだろ。神の領域だ。そんなことは。誰もができることじゃない。でも、俺はそうありたいとだけは思っている。少なくとも、そう思おうとはしている。それが今の俺にできる最大限のことだから。智もそれでいいと思うんだ。お前がそうやって今、悩んでいるというそのことだけで充分だと思う。だから、あんまり焦って全部を手に入れようとしてはいけない。ゆっくりやっていけばいいんだよ。お前は、間違っちゃいない」
「僕は、間違っちゃいませんか……」
「ああ」
智は、俯いてベッドカバーの格子模様の一点を見つめていた。瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。ベッドカバーの格子模様に円形の染みができる。と、その時ふいにまた、智のこめかみが痛み始めた。智は、指先でこめかみを強く押さえながらうずくまった。その様子を見ていた建が心配そうに智に声をかける。
「おい、智、どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
「いえ、ちょっと頭痛がするだけで……。風邪を引いてるみたいなんです」
智は、体を起こしながら建に言った。そう言いながらもなお、こめかみを押さえている手は外さない。
「そうか。ただの風邪ならいいんだけどな。気をつけないと。こういう国だから色んな病気があるからな」
智は、起こした体をゆっくりと壁にもたれさせ、膝を立てて座り直した。そしてそのまま後頭部を壁に当てて目をつぶった。
「それが……。ちょっと変なんです。ただの風邪とは違うみたいで……」
建は、智のその言葉に反応して言った。
「何? どう違うの?」
「何と言うか……。寒気はするんだけど、別に熱がある訳でもなく、それなのに腰の辺りが重くって、度々、体の節々が痛むんです。それと、何だか鼻の辺りがムズムズして……」 鼻の周りを勢い良く擦りながら智はそう言った。
「下痢は?」
「してないです」
「腹痛とか、吐き気は?」
「ありません」
建は、少し考えながら探るような目付きで智を見た。
「智、お前、何かやってないか?」
建の思いがけない問いかけに、智は少し戸惑った。