私たちはモスクの近くにある、市場に向かった。
狭い路地にある市場はどこも閉まっている。
もう長い間、商売はしていないようだ。
道端には石やゴミが散乱し、頭上に張られたネットには石が載っている。
聞くと、このネットは投石を防ぐためのものだという。
ユダヤ人に向かって石を投げるパレスチナ人しかTVで見たことのない私は、初めパレスチナ人が投石したのかと思った。
が、Aさんは違うと言う。
「パレスチナ人がパレスチナ人の市場に投石するはずがないだろう」
ここは、パレスチナ人の市場だったとのことだ。
Aさんは、市場の頭上に塔のようにそびえる建物を指さした。
あそこには、ユダヤ人の家族が住んでいる。
Aさんは、こうなった理由を説明してくれた。
彼等は、ある日突然、ここにこの建物をたてた。
その日から、この市場に来る買い物客の頭上に、石が降るようになったという。
若いパレスチナ人女性がひとりで歩いていた。
外出禁止令が出ているため、パレスチナ人たちは、イスラエル兵に見つからぬよう裏路地を歩いている。
廃墟のような市場の、一件の商店の閉じられた扉に、青いペンキでイスラエルの象徴であるダビデの星が描かれていた。
私たちは、インティファーダの現場に行くことにした。
途中、二人のイスラエル兵に話しかけられた。
Nくんが写真を撮っても良いかと聞いてみる。
二人のイスラエル兵の間に入ったNくんを、私は写真に撮る。
イスラエル兵が持つアメリカ製の自動小銃に装填された弾倉の横に、もうひとつ弾倉がくくられているのを私は見つけた。
カメラには笑顔を見せる彼等だが、戦闘準備は整っている。
インティファーダの現場についた。
イスラエル兵の後ろから、それを見る。
ここの大通りの頭上にも、ネットや幕が張られていた。
もちろん投石防止のためである。
イスラエル兵のはるか向こうから、50人以上はいると思われるパレスチナ人の集団が、かわるがわる石を投げてくる。
正面からだけではなく、横の路地からも石が飛んできた。
イスラエル兵のひとりが銃口を向ける。
私たちがこの区域に入ったとき出会った全力疾走する二人のパレスチナ人は、横の路地から石を投げたのかもしれない。
私たちは場所をかえ、今度はパレスチナ人側に周って、その現場を見る。
いきりたったパレスチナ人が、イスラエル兵に向かって罵詈雑言を浴びせている。
数人のパレスチナ人がこちらに詰め寄ってきた。
Aさんが何か責められている。
その場の雰囲気が悪かったが、投石をする彼等の写真を撮っても良いかと私は尋ねた。
それが火に油を注いでしまった。
彼等は何か怒鳴っている。
Tさんに聞くと、「おまえはユダヤのスパイだろう」
「その写真をユダヤに売るのだろう」
と彼等は言っているという。
Nくんはその場の雰囲気を察し、壊されないようにとカメラを隠していた。
Aさんは私のせいでさらに責められ、頭を抱え、座りこんでしまった。
私は観光気分で見物に来たことを、反省させられた。
後で聞いたのだが、写真を撮られたために,ぬれ衣を着せられ逮捕された運動家が何人かいるとのことだった。
私たちは、その場を離れることにした。
私がイスラエルを離れた後の話だが、イスラエル兵がパレスチナ人に銃を発砲するような騒ぎが起きたと、Tさんから聞いた。