全部が普通

――― ああ、俺は、一生この「生活」というものから逃れられないのか? 永遠にこの「日常」という化け物に支配されながら生きていくしかないのだろうか……?

     退屈でつまらない、日常! 憎むべき現実! 

     何の想像力も必要としない忌々しい、日常!       

こんな遥か彼方までやって来てなお、日常というものを意識し続けなければならないとは ―――   

「どうした? 元気ないじゃん?」

俯きながら歩いていく智を見て、建は声をかけた。我に返って智は健を見返した。

「建さん、もう俺、旅を始めて一年ぐらいになるんですよ。だからなのかも知れないけど何だか旅をしていても、ふと、何もかもが同じようにしか見えない時があるんです。何の刺激も感じないし、全部が普通に見えてしまう。日常的というか……。今歩いていて思ったんですけど、この景色だってまだ昨日着いたばっかりだからそんなに知らない筈なのに、もう全部知っていることのように思えてしまう……。確かに新鮮な驚きのようなものはその都度あるんですけど、それを無関心に処理する術を身に付けてしまったというか……。そのせいか最近、何だか些細なことでイライラしてしまったり落ち込んだり、そういうことが多いんですよ……」

建は、歩きながら黙って智の話を聞いていた。そしてしばらくしてから口を開いた。

「智、あのな、俺達にとってこれは旅だし、やっぱり日本で生活しているのとはちょっと違うかも知れない。でも、ここに住んでるインド人達にとってはこれは紛れもなく生活だし、日常なんだ。だからそれが日常的なつまらないものに見えたって別に不思議じゃない。智は、そのままの風景をそのまま見てるんだよ。それに刺激を感じられないのはあくまでも智自身の問題だ。例えどんな国へ行ったってそこに人が住んでいる以上、そこには生活があって日常がある。それは当然のことだろう? ただそれが非日常に見えるのは、自分の中にそれらの予備知識が無いからだ。全く知らないことを見せられて聞かされれば誰だって驚くだろう? それが旅なんだ。だから旅というのは言ってみれば瞬間と瞬間の積み重ねだし、とても刹那的な物だから、いつか必ず終わりが訪れる。智は、要するにインドや旅というものに慣れ過ぎてしまって、生活者の視点で物事を見てるんだよ。それは長く旅をしていれば誰しもいつかは辿り着く所さ。でもな、気持ちの持ち方次第では旅って終わらないんだぜ。だって本当は、同じ一日なんて絶対に訪れない筈だろう? 例えばこのメインバザールだって昨日と較べたら何か違うよ。ほら、あそこのチャイ屋の屋台なんて昨日まで無かったろ? 小さなことだけど、それだって一つの変化じゃん。そういうのを敏感に感じられたら退屈なんてしないと思うけどな。毎日毎日変化に富んでて刺激的だ。どう、そう思わない? 智はさ、ちょっと疲れてんだよ。違う?」
「そうですね、ちょっと疲れてるのかも知れません……。でも、建さんが今言ったことなんですけど、だったら建さんは、わざわざインドまで来る必要なんて無いんじゃないですか? 常にそう考えることができるんだったら、それこそ日本での生活が毎日毎日刺激的で楽しくなる筈じゃないですか。建さんは何でインドなんかにいるんです? 日本での生活が満たされないものだったからじゃないんですか?」

智が健を責めるようにそう言うと、建は、少し驚いた表情をしながらこう答えた。

「ハハハ、成る程な。智の言う通りだよ。実際そんな風にできりゃあこんな所までわざわざ来ないで日本で楽しく生活してるよな、ハハハハハ」

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