ババ・ゲストハウス

「ところで建さん、部屋はどこなんです?」
「ああ、俺、ここに泊まってるわけじゃないんだ。もうちょっと裏手のところにある宿に泊まってて。あっそうだ、ヤベ君がいるんだよ、ここに。彼に会いに来てたんだ。ほら、知ってるだろ、谷部君」
「ああ、バラナシでババ・ゲストハウスに泊まってた人達の内の一人ですよねえ。覚えてますよ。あんまり話をしたことはないけれど。あの人がここにいるんですか?」
「そうなんだ。女の子と一緒にいるよ。今は二人で旅してるみたいだね。相変わらず女好きだよ、彼は。今ちょうど二人とも出かけたところだからまた後で会いに行ってみようよ」「ええ」

智は曖昧に言葉を濁した。実のところ智は「谷部さん」が、あまり好きではなかった。谷部さんが、と言うよりも、バラナシの「ババ・ゲストハウス」に泊まっていた連中が好きではなかったのだ。

バラナシにはたくさんの観光客がいて、日本人旅行者の数もことさら多い。海外の日本人達は、他の国の旅行者達と比べると団体で行動するのが特に好きで、そんな日本人旅行者達が泊まるゲストハウスとは大体限られてくる。そうたくさん数があるわけではない。有名どころ四つか五つになってくる。そしてそれら各々の宿にはそれぞれに泊まる人間の特色の様なものがあって、まだインドに入ったばかりの智は、ガイドブックにも大きく載っていて人気の高いビシュヌ・レストハウスに泊まっていた。そのゲストハウスは、目の前に聖なる大河ガンガーを一望し、テラスから眺める景色も頗る良く大変過ごしやすい所だった。

一方、ババ・ゲストハウスという宿は比較的目立たないひっそりとした所にあり、知る人ぞ知るという風な感じで旅慣れた長期旅行者達の集まる宿だった。一泊の値段は少し高めだが、やかましい初心者旅行者達がいないため静かに過ごすことができる。確かにビシュヌ・レストハウスに宿泊している者達は、旅を初めてまだ日が浅いため目にするものすべてが新鮮で、どうしてもはしゃぎがちに毎日を過ごしてしまう。ババ・ゲストハウスに泊まっている彼らは、バラナシの細い路地を大人数で群れながらわいわい歩いてゆく彼らをあまり快く思ってはいなかった。なので両者がレストランなどで顔を合わせても、どうしてもお互い敬遠しあってしまい、親密な雰囲気の生まれることはなかった。智は、何度か彼らと一緒に食事をしたこともあるにはあったがその度に鼻持ちならない思いをしていたし、彼らは彼らで恐らくそんな智達を少し小馬鹿にしたような所があっただろう。「谷部さん」とはそんなババ・ゲストハウスに宿泊していた旅行者の一人だった。

建はそのどちらのグループにも属しておらず、智が初めて出会ったのはビシュヌ・レストハウスのテラスでだった。朝、彼はいつもそこにチャイを飲みに来ていた。ビシュヌ・レストハウスのテラスは見晴しのいいことで有名なので他の宿に泊まっている旅行者にも開放されており、実際良く繁盛していた。テラスは様々な人種の旅行者達でいつも溢れていた。建もその中にいたのだ。

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