二週間二十ドル

次の日遅く目覚めると、思いのほか体は軽く気分も晴れやかだった。部屋の中の大気は依然重く蒸れていたが、それでもなお、智は、顔を洗うため足取りも軽やかに洗面台へと向かった。廊下に出ると、上半身裸の欧米人が、智と同じようにタオルを首からかけて歯を磨いていた。智は、にこやかに彼に向かって声をかけた。彼は、歯を磨きながら智の方に目を向けてそれに応えた。

清々しい朝だった。何だか周りにいるみんなが友達のように思え、この不快な大気も、暑ささえ、全てが素晴らしかった。孤独を感じていた昨晩までの自分が信じられなかった。今の智は決して孤独ではなかった。まるで宇宙全体と繋がっているような一体感でいっぱいだった。もやもやしていた今までの自分が嘘のように思えた。

「サトシ、サトシじゃないか?」

突然後ろの方から、日本語で智の名前を呼ぶ声が聞こえた。歯を磨いていた智は、歯ブラシをくわえたまま振り向くと、そこには、軽くウェーブのかかった長髪に短く刈り込んだ髭を生やした中背の日本人の男が立っていた。智は、慌てて歯ブラシを置いて口をゆすぐとその男の方に駆け寄った。

「建さんじゃないですか!」 

彼に抱きつかんばかりの勢いで智はそう言った。

「ああ、やっぱり智か、久し振りだなぁ」
「どうしたんですか?こんな所で。いつからデリーにいるんです?」

智が手を差し出すと、建は自然にその手を握り返した。

「もう二週間ぐらいになるのかな? ここに着いてから。もういいかげん飽き飽きしてるころさ。智は? いつこっちに来たの?」
「僕ですか? 昨日です、昨日の朝着いたところです。凄い! 偶然ですよね! こんな所で出会うなんて! いつ以来でしたっけ? 建さんと会うのって」
「そうだな、確かバラナシにいた頃だから年末ぐらいじゃないかな。そうだよ、年末から年明けにかけてだよ」
「そうですよね! ていうことはもう三ヶ月も経ってるってことなんだ……。本当に早いですよね! とてもそんなに日にちが経っているようには思えません!」

三ヶ月ぶりに見る建は少し痩せたように思えた。冬のバラナシは予想外に寒く、その時は、皆、厚着をしていたせいもあるかもしれない。

「建さん、ちょっと痩せました?」

智にそう聞かれて、おもむろに自分の体を見回しながら建は言った。

「そうかも知れないな。ちょっと前まで全然金が無くって飯もまともに喰えない状態だったんだよ。こっちの銀行に友達から送金してもらう筈だったんだけど手違いで受け取れなくってさ。全財産二十ドルぐらいしかなかったんだ。二週間二十ドルで過ごしたよ。いくら物価が安いっていったってさすがに二十ドルはきつかったなあ。本当に飲まず喰わずだったから。だからちょっと痩せたかもしれない」
「建さん、相変わらず凄い生活してますね。だからそんなにやつれてるんですか……。それで、お金は受け取れたんですか?」
「ああ、何とかね。受け取れた。助かったよ。それがちょうど昨日のことでさ。やっとこのクソ暑いデリーから抜け出せると思うとせいせいするよ」
「もう出るんですか?」
「ああ、金受け取ったらすぐ出ようと思ってたから。でも、せっかくこうして智に再会できたんだから、もう少しいてもいいかもな」
「本当ですか? 是非そうして下さいよ! 一緒に遊びましょうよ!」

智がそう言うと、建は優しく微笑んだ。智は、建のその穏やかな微笑み方がとても好きだった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください