智は、リノリウムの床を転げ回り泥まみれになりながら呻き続けた。音楽は、一層激しく智の脳髄に侵入してくる。瞳からは涙が溢れていた。血液が沸騰するように体中を巡り、智の顔は真っ赤になった。その瞳から次々と涙が溢れだし、止まらなかった。汗と涙と鼻汁とでぐちゃぐちゃになった智の顔は、更に床の泥や砂を吸い込んで見るも無惨な様相を呈していた。
智はひたすら叫んでいた。声にならない、固まりのような叫びが胸の奥から沸き上り、それはまるで弾丸のように智の口から吐き出された。吐き出されたそれは波動となって、周りの空気を振動させた。息が切れるぐらい体中に力を込め続けると、智の眼前は眩く光り輝き、そして全身を強打するような衝撃が智を襲い、そのまま智は意識を失った。そして何時間も、裸のまま床に倒れていた……。
深夜、智はシャワーで汗を流した。冷たい水で汚れた体を流していくと、とてもさっぱりとしたいい気分になった。髪の中に入り込んだ泥や砂が、ざらざらと皮膚の表面を流れていく。シャワーに向かって顔を上げ、両手で激しく顔を擦った。パッと、意識が正常に戻っていくようでとても気持ち良かった。小窓の外を覗くと、夜空に月が光っている。それは細く鋭い三日月で、智を無言の内に惹きつけた。しばらくじっと眺めていると、頭のてっぺんから足の先までその銀色の輝きがゆっくりと智の体を通り抜けていくようで、火照った肉体と精神は穏やかに落ち着きを取り戻していった。ただシャワーのアスファルトを打つ音だけが静かな部屋に響きわたり、その音は遠いさざ波を智に連想させた。落ち着いた、幸せな気分だった。
シャワーから上がって体を拭きながら智はベッドに腰かけた。冷たい水は智の肉体を冷却し、冷却された肉体は蒸れた室内の空気ですら心地良く感じさせた。壁に掛けられた扇風機が首を振りながら大気を掻き混ぜる。まだ濡れている智の体はその大気の流れに冷ややかな涼しさを感じる。それは夏の夜の心地良い瞬間だった。
扉では、智の描いたシバ神がこちらを見つめている。今見るとその絵は、智が自分で描いたものだとはとても思えなかった。微妙に流れるようにして伸びていく線のカーブは、それまで自分が描いてきた絵の中には見られないものだったし、こちらを見つめる無数の視線は明らかに正気の発想とは思えない。その絵は、智の意識の奥底に眠る隠された衝動を表現しているようだった。智は、自分の中に棲む得体の知れない他者の存在を感じずにはいられなかった。それは自分の心を遠くの方から覗き見しているような変な感覚だった。ぼんやりとそんな思いに捕われつづけていると急激な肉体的疲労が智を襲い、智は、座っていることすらままならないような状態に陥った。智は、そのまま倒れ込むようにベッドに横になると、深い泥沼の底へ沈み込んでいくような際限のない眠りに落ちた……。