新聞やTVのニュース、ガイドブックなどで、私はおとずれたことのない海外の国々をイメージしてみたりする。
それらの国々を旅する前は、日本で仕入れられる情報だけで、私はその国を理解しているつもりでいた。
しかし、それらの国々を旅してみると、イメージと違う現実にぶつかることが多々ある。
もちろん、私以外の旅行者も。
エジプト、ダハブの町。
アカバ湾に面するこの町の浜辺には、カフェやレストランが並んでいる。
夜、私たち5人は、砂浜にじゅうたんを敷いた一件のカフェでお茶を飲んでいた。
その中のひとり、スキンヘッドに筋肉ムキムキのスウェーデン人男性が言う。
「俺はこれまで、シリアという国は危険な国だと思っていた」
彼は丸太の様な腕をぐるぐる回しながら話す。
「なぜならば、TVやニュースがそう言っていたからだ」
彼は首から上を回しはじめた。
身体を動かしていないと話せないらしい。
「しかし、目の前にある現実は違った」
彼は人差し指で右目を指す。
「シリアはスウェーデンより安全で、シリア人はスウェーデン人より親切だ」
彼は、彼のイメージと現実の違いに興奮している。
これは余談だが、私がヨルダンのアンマンで日本大使館に行ったとき、このような張り紙がしてあった。
日本人旅行者がシリアの風紀を乱すため、(日本人旅行者は)ここではシリアのビザは取れません、と。
シリア人から見たら、日本人旅行者は風紀を乱す存在なのだ。
私も、スウェーデン人の彼がシリアで感じたことを、チュニジアで感じた。
チュニジア、チュニスのユースホステルでのこと。
私は、日本人学生と2人のアルジェリア人と同室だった。
アルジェリア。
私のこの国のイメージは、外務省の家族等退避勧告、外国人を狙ったテロ事件の連続発生。
数年前に日本企業が発表した、世界で最も危険な国の1位。
エジプトで大勢の日本人が撃ち殺されたことを思いおこさせる、イスラム原理主義、外国人皆殺し。
私はそのイメージもあって、彼らアルジェリア人とあまり親しめなかった。
ある日、時間を持て余していた私は、ユースのベッドに寝転がり、聖書を読んでいた。
私は、クリスチャンである。
そこに、彼らアルジェリア人が帰ってきた。
「なにを読んでいるのだい」
私は、聖書とこたえる。
「君はクリスチャンか、僕はムスリムだ」
教えてもらわなくても解かっていたが、私はふむふむと彼の話を聞く。
知っているか、と言ってから、つづけて彼はこう言った。
「キリスト教とイスラム教は、元は同じ宗教だ」
彼はそう言って、握手を求めてきた。
彼の言っていることは歴史的事実である。
何も特別なことではない。
しかし、ユダヤの神以外は神と認めようとしないユダヤ人、お互いを認めないカトリックにプロテスタント、キリスト教徒を敵視するイスラム教徒、元は同じであるはずの宗教を信じる人間同士が憎みあう様子を、私はいくつかの国で見てきた。
私のイメージの中では、最もイスラム原理主義が強い国の人間から、この様な言葉を聞くとは思わなかった。
私の固定観念が、またひとつ壊れた。