クリシュナゲストハウス

月が、三人の頭上でひっそりと輝いている。智は、ぼんやりとそれを眺めた。

月は揺れているようだった。微妙に振動して光の波動を発しているのだ、と智は何となく思った。そしてその銀色の波動を自分は今全身に浴びている、と想像すると、今ここでこうして歩いているだけのことが凄く素晴らしいことのように思えてきて、自然と幸せな明るい気分になるのだった。そして全く異国の土地で、日本では全く見ず知らずだった日本人と偶然出会い、共に歩いているということが、まるっきり運命的で奇跡的な出来事に感じられ、智は妙に感動してしまうのだった。

「俺、直規と心路に出会えて良かったよ」

二人に向かって智は唐突にそう言った。

「何だよ、突然」

直規が、智の方を向いて言った。

「だってこんなインドみたいな広い国でもう何回だっけ? 三回目? 三回も再会してだよ、今こうして歩いているのなんて本当に凄いことじゃない? 俺は、今、運命を感じていたんだよ。だってお互い日本にいたら絶対会うことなんてなかっただろ? 住んでる場所も全然違う訳だし。なのに、旅っていう唯一共通する行為によって俺達は結び付けられてるわけで、それって奇跡に近いことっていうか、もう奇跡じゃない? だからさ、こういうのって何かの縁だから大切にしなきゃって思ってたんだよ、どう、そう思わない?」
「智、お前もキマり過ぎだよ、ちょっと落ち着けよ、何言ってるか分かんねぇよ」

直規がそう言った。

「でも、俺は、何となく智の言いたいこと、分かるような気がするな」

微笑みながら心路はそう言った。しかし智は、二人の言うことにはあまり耳を傾けず、ひとり、満足そうに感慨に耽るのだった。

三人は、もう町の入り口まで来ている。そこの細い裏通りを一本抜けると、明るい表通りに出る。しかし表通りといっても小さな町なので三人並んで歩いていたら、もう人とは擦れ違うことのできないぐらいの道幅だ。店もツーリスト向けの土産物屋がポツポツと開いているぐらいで、人通りもあまりない。

「夜は寂しい感じだね」

智はぽつりとそう言った。

「ああ、昼間は人も多くて賑やかなんだけど、夜は店閉まるの早いしな。九時ぐらいには人気もなくて本当に静かだよ」

直規が、周りを見渡しながらそう言った。

雑然とした町並は、他のインドの町の風景とあまり変わりはない。ヒンドゥー語と英語の混ざった看板がそこいら中に見受けられ、町の様子をより雑然としたものに見せかけている。かなりごちゃごちゃとした町並みだ。ぽつん、ぽつん、と灯る街灯は、埃っぽい通りを余計に薄暗く、寂しく染めている。

「心路、どっちだっけ? クリシュナ・ゲストハウスって?」
「もう一本向こうの道を右に入るんだよ」

指を差しながら心路はそう言った。

「良く分かるよなぁ、心路は、本当にこういうの得意だよな」
「直規君が方向音痴なだけだよ」
「いや、お前が詳しすぎるんだって。だって一回歩いたらもう絶対その道忘れないじゃん」

心路は、そんな直規の意見をよそにスタスタと歩いて行く。

「あ、ほら、ここを右に曲がるんだよ」

心路がそう言った道というのは、殆ど人一人通るのがやっとというような細い道で、普通なら決して立ち入ることのないような所だった。

「何でこんな道覚えてんだよ」

直規は、信じられないという風にそう言った。

「見てみなよ、直規君、そこに書いてあるよ、ほら」

そう言って心路が指したその先には、壁にペンキで小さく、クリシュナ・ゲストハウス、と矢印が書かれていた分かんねぇよこんなの。こんなんで客来るのかよ? 絶対これ見て来る奴なんていないだろ?」
「だから、ここの奴らは、ツーリストにドラッグ捌いて儲けてるから宿泊客なんて来なくたっていいんだよ。それに放っといても買いに来た奴らがそのまま泊まっていったりするんだから」

直規は、成る程なという風に納得しながら道を曲がった。

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