「直規君、そろそろ行かないと……」
心路は、俯いている直規に向かってそう言った。ようやく直規は、落ち着いたという風にゆっくりと顔を上げた。
「そうだな、行こうか、行かなきゃな……。しかしキマッたな、これは……」
下を向いたまま智は動かない。
「おい、智、大丈夫か? サトシ?」
智の肩を揺すりながら直規はそう言った。
「あ、ああ、そうだよ、行かなくちゃ、行くんだよな、ブラウンだっけ、そうだよ、買いに行くんだよ……」
「智、大丈夫かよ?」
「ああ、大丈夫、かなりキマッてるけど、歩けそうな気はするし……。多分……」
「ハハ、何とか大丈夫みたいだな。このクサ、トビが軽いからきっと歩き始めたらシャキシャキしてくるよ。よし、そろそろ行こうか」
直規と心路は、手荷物をまとめて立ち上がり出かける準備をし始めた。
「俺、絶対何か忘れ物しそうだわ……。もし何か忘れてたら置いておいてね」
二人のその様子を見ながら智はそう言った。
「大丈夫だよ、明日にでも取りに来ればいいんだし、心配すんなよ」
智は、ふらふらっと立ち上がると、空ろな目で自分のサンダルを拾い上げた。霞む視界の中で悪戦苦闘しながらも、何とかそれを履くことはできた。
「俺、目ヤバくない? キマッてるって余裕で分かるでしょ」
「大丈夫だって、俺らみんな一緒だよ、分かんねえって。ほら、行こうぜ」
直規は、智の肩をポンッと叩いて外に出た。智も、ふらつきながら何とか直規について行った。
外に出てみると、もうすっかり日は落ち、辺りは真っ暗な闇に包まれていた。昼間の暑さを忘れさせるぐらい涼しくなってはいるのだが、未だ冷めやらぬ熱気はあちこちに悶々と残されている。
暗い池のほとりを歩いて行くと、その水面に満月に近い月がゆらゆらと揺れるように光っているのがとてもきれいだった。電灯の全くないこの夜道も、月明かりで何とか歩いて行ける程度には照らされている。
「月が、きれいだね」
独り言のように智が呟いた。
「ああ、今日は眩しいぐらいに光ってる」
足下を気にしながら直規はそう言った。辺りはとても静かで、三人の草を踏む音と虫の鳴き声の響くだけだった。
三人とも無言で、歩くことだけに集中していた。湿気た草の匂いがやけに鼻につく。
「それにしてもよくこんな所にある宿を見つけたものだよね」
智が言った。
「ああ、心路は、何故だか知らないけど、こういうの得意だからな。いつも安くて穴場みたいな所を見つけてくるんだよ」
「一泊幾らぐらいなの?」
「幾らだっけ、心路?」
心路は、急に話しかけられたので、驚いてハッと顔を上げた。
「ハハハ、何ビビってんだよ」
「いや、歩くのにハマッててさ、ずっと足下見てたら足音が心地良くって、それ聞くのに集中してたから……」
「お前キマり過ぎなんだよ。俺らの泊まってるゲストハウスの話だよ、幾らだっけ?」
「百ルピーぐらいだったんじゃないかな、多分?」
「二人で?」
心路がそう答えると、智は驚いて聞き返した。
「ああ、確かそうだったと思うよ」
「俺の泊まってる所なんて百二十ルピーもするよ。もちろん一人でだよ」
「町の真中だったらそれぐらいはするよ。ここはちょっと外れになるからさ」
智は羨ましそうに頷いた。
「普通はこんな所誰も来ないって。心路は、何でか分かんないけど、こういう所探すのが得意なんだよ」
直規がそう言うと、心路は、少し照れたように微笑みを浮かべた。