チェンジ・マネー・トリック

私はルワンダからタンザニアに入り、キリマンジャロの麓の街であるモシに立ち寄り、ダルエスサラームまで駒を進めた。
キリマンジャロは標高5895mのアフリカ大陸最高峰である。
以前はそこに登ってみたいと思っていたが、はやはりキリマンジャロに登ることはなかった。
ネパールあたりのトレッキングとちがって、キリマンジャロの登頂にはけっこうな金がかかる。
入園料とガイド料がかかり、3泊4日で400ドルくらいは取られる。
しかも一人での登山は禁止されている。
かならずガイドを雇わなければならない。
いや、別に金がかかるのはいい。
それだけの魅力があれば、お金は惜しまないことにしている。
登った人に聞くと、それはいわゆる登山だったのでやめた。
私はトレッキングの方が好きなのだ。
つまりネパールのように、山間を歩いて、そこに暮らす人たちの生活を見ながら歩く、そういうのが好きなのだが、キリマンジャロには、人は暮らしてなく、また山頂を極めるのことが目的なので、ただひたすらに登るというのが、ここのスタイルなのだ。

それで麓の街から、モヤがかかったキリマンジャロを見ただけで、満足することにして、すぐにダルエスサラ?ムへと来たのだった。
そこで事件は起きた。

私はそのダルエスで、まずは両替をやらなければならなかった。
アフリカではトラベラーズチェックが使える国というのが限られているし、使えたとしても手数料が高いところが多い。
アジアであれば、ほとんどそういうことがなく、安全面からいってもトラベラーズチェックが一番だという気がするが、アフリカではそれほど使えないのだ。

それで必然的にドルキャッシュを持ち歩き、それを現地通過に変えるということになる。
わたしは、そのためにエジプトである程度のドルキャッシを用意し、シティバンクのカードが使えるところではそれを使い、その他はドルキャッシュを使っていた。

このダルエスではちゃんと銀行もあり、トラベラーズチェックも使えたが、やはり手数料がけっこうするので、ドルキャッシュを両替することにした。
銀行を何件かまわり、ドルキャッシュのレートが良くないと思っていると、路上でドルチェンジの声がかかった。
いってみれば闇両替である。
レートは銀行の1割くらいはいい。
しかし、最初は警戒して、レートを聞くだけでやめておいたが、けっこう頻繁に闇両替の声がかかった。

『もしかしたら、ここでは闇両替が一般的なのかもしれない』
と思ってしまったのが、私の間違いだった。
闇両替のレートが銀行と比べあまりに良すぎると逆に警戒したのだろうが、銀行が1ドル1020タンザニア・シリングに対し、闇両替が1ドル1100シリングと、微妙ではるが、やはりある程度の金額を両替すると、お得感がある。
1ドルにつきチャイ1杯くらいは得をする。

そして何人かの闇両替屋のうち、もっとも信頼できそうな顔立ちの男を一人選んで、やることにした。
少し小太りで背は低く、オレンジ色のシャツを着た中年だ。
まず50ドル両替したいことを告げると、50ドル札を見せてくれという。
私は彼にそれを差し出し、彼はそれをチェックして、一度返してもらった。
そして彼は懐から札束を取り出して、数を数える。

50ドルの両替なので、55,000タンザニア・シリングになるはずである。
そして彼は5,000シリングの紙幣を11枚数え私に渡した。
私はそれを1枚1枚数え、これでOKだと言って、USの50ドル札を彼に渡した。

今思えばこれで終わりにすればよかった。
彼は、私のもっている11枚のタンザニア・シリングを見て、
『輪ゴムをかけてやろう』
といって手を出した。
たしかに11枚はかさばるほどではないが、輪ゴムでまとめてあってもいい。
私は何も躊躇することなく、金を手渡した。
そして彼はそれを四つ折にし、輪ゴムをかけてくれた。
その様子を私はずっと見ていた。
そして再び金を受け取ると、
『警察に見つかったらヤバイ。
早く行ってくれ』
と彼は言い、私たちは別れた。

その日の夕方、タンザニア・ザンビア鉄道の切符を買いに駅に行き、両替したばかりのタンザニア・シリングで払おうとして、その輪ゴムをほどいて私は愕然とした。
金が足りないのだ。
本来ならばそこには5000タンザニア・シリング札が11枚あるはずだった。
しかし表と裏の札だけが5000タンザニア・シリング札で内側の9枚は500タンザニア・シリング札だった。
私は最初何が起きたのか理解できず、何度も数え直し、計算しなおした。
しかし、どう考えても5000タンザニア・シリング札が11枚あるべきところ、
5000タンザニア・シリング札は2枚だけで、あとは500タンザニア・シリング札なのだ。

そして考えた結果、闇両替の男が輪ゴムをかけたときに、あらかじめ用意していた別のものと、すり替えられたとしか、考えられなかった。
私はもう1年以上も旅をしている。
といっても別に旅慣れているとも思っていない。
両替したときにも、かなり念入りにチェックしたはずだった。
それでもやられてしまったわけだ。
損した金額は約40USドルだ。
これはちょっとした大金だ。

そのときには非常に腹がたち、両替したその道へと引き返し、その辺りの人にその両替の男のことを聞きまわり、彼を探した。
もちろん金を取り返すためである。
しかし見つかるわけはなかった。
ただ、今思うと、単に、彼のほうが一枚上手だっただけの話であり、それもまた旅を彩るシーンの一つとして、思い出すことができる。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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