アザーンの聴こえる、朝

パキスタンに入って初めて知ったんだけど、イスラムの国ではどこの街でも大体一日に何回か決まった時間に、何処ぞやのモスクからアザーンが聞こえてくる。
アザーンっていうのは、お祈りね。
拡声器かなんかでそれを大きな音で流すんだ。

 
  ――アッラー,アクバル――

で始まって、何分かそれが続くんだ。
アッラーっていうのは「神様」ってことで、アクバルっていうのは「偉大」ってことらしい。
要するに、「神は偉大である」、ってことを言っているのだ。

パキスタンの北の方、ギルギットっていう小さな町には日本人の集まる有名なゲストハウスがあって、オレがそこにいたときにはクレイジーで面白い奴らがたくさんいた。
だからついつい長居しちゃって。
毎日毎日、ドラッグ三昧。明け方までケタケタ笑ってた。
ある日オレは、ついつい調子に乗っちゃって、一日中、鼻から口から色んなもの吸い込みまくって、夜が更ける頃には意識不明でブッ倒れてた。わけ分かんない。
次の日起きたら、スッゲェ体調悪ぃのなんのって。
これまた一日ブッ倒れるはめになってたね。

自分では気付いてなかったんだけど、部屋をシェアしてた奴が言うにはその晩、眠ってる間に何回も起き上がって、げぇげぇげぇげぇやってたんだって。
とても苦しそうだったという。
でも、明け方アザーンが聞こえてくると、だんだんと落ち着きを取り戻し、再び安らかな眠りについたという。

それからかな。アザーンが苦にならなくなったのは。
それまでは、気になって気になってしょうがなかったんだ。
うるさいから。
でも、よくよく聞いてみると、そんなに悪いものでもないらしい。
特に夕方、寂れた町に響くその声は、砂漠に沈む大きな夕日やその色彩にぴったりでそれは、永遠という言葉に最も近い風景の内の一つ、なんじゃないのかな、なんて思った。穏やかな気分になれる。
オレの苦しみも鎮静されるわけだ。

もうしばらく聞いてないなあ。
たまにテレビなんかでアザーンの鳴ってるのや、イスラムの人達がゆっくりとひれ伏してお祈りしてるのなんか見ると、懐かしいなあと思う。
時間がゆっくり流れているようで、好きなんだ。
毎日に、ちょっとでも日常から離れられるそういう時間があれば、大分違うだろうにね。
そんなにピリピリしなくってもいいかもよ。

夕暮れの帰り道、どこからかアザーンが聞こえてきて、公園のベンチかなんかでちょっと一息。缶コーヒーなんか飲みながら。
目を閉じて。
何にも考えずに。

一日に五分でも十分でも、そんな時間があったら素敵かも。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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