風の谷のフンザ

パキスタンの北部にフンザという場所がある。
世界最後の桃源郷と言われている、パキスタンの一大観光地だ。
私もそこにはいつか行ってみたいとは思っていたものの、今回はパスしようかと思っていた。
季節が悪かったからである。
私が行くとすれば、冬の真っ只中になる。
そこは春には杏の花が咲き、夏には数多くのフルーツが実り、秋には紅葉が美しい場所である。
しかし今は冬。
なのでまた、別の機会にとっておいてもいいかなと思っていた。

しかしインドのバラナシで知り合ったある青年の話を聞いて私の心は動いた。
その青年はパキスタンのフンザから中国へと抜け、チベット、ネパール、インドと下ってきて、バラナシで私とクロスしたのだ。
『フンザはとてもいいところでしたよ。
あそこが宮崎駿監督の風の谷のナウシカの舞台になったっていう話は知ってますよね。
宮崎監督は取材旅行に行っても絶対写真を撮らないそうですよ。
写真を撮ると、そこの場所のただの模倣になってしまうからだそうです。
だからイメージを焼き付けて、そこから自分なりの世界を描写するそうです。
まあ、ナウシカの舞台は、オーストラリアとも言われていて、どっちが本当なのかは、監督は絶対に言わないみたいですけどね。』
青年のその話は興味があった。
私もナウシカに特に思い入れがあるわけではないが何度も見た。
ただ、一枚の写真も撮らないということがなんとなくひっかかった。
一方私は、写真を撮り捲る。
なんとなく、その写真にも残されなかったフンザの景色から、あのナウシカが生まれたのかと思うと、行ってみたいと思いはじめた。

ただ、季節は冬。
私は西チベットとネパールで使った防寒具は、とうに売り払い、大した防寒具も持っていなかったが、別にテントは張って旅をするわけではないし、大丈夫だろうと思ってフンザに行ってみることにした。

パキスタンの首都イスラマバードの隣のラワールピンディから一晩バスに揺られ、ギルギットという街に着いた。
そこで1泊し、ワゴンに乗ってカラコルムウェイを3時間ばかり走るとそこはもうフンザだ。
ハイウェイなんていっても、もちろん日本のそれを考えてもらっては困る。
ただ山を削って道をつけただけの道である。
しかし、それが中国まで続いているのだからすごいものだ。

フンザのゼロポイントという妙ちくりんな地名のところでワゴンを下ろしてもらった。
そこにゲストハウスがいくつかあるからだ。
ワゴンを降りたところに、何人かの男たちがたむろしていたので、コショーさんゲストハウスはどこか聞いて歩き始めると、ものの1分で着いてしまった。

コショーさんゲストハウスはその名前の通り、コショーさんがオーナーなのだ。
入り口を入ると、そこは食堂になっていて、その奥のキッチンにコショーさんがいた。
キッチンはハシシの匂いがぷんぷんしていた。
コショーさんが吸っているのだ。
コショーさんはもじゃもじゃ頭のに髭をはやし、それでいて、痩せていてた。
それでいて、いつもハシシできまっている(気持ちよくなっている状態のこと)ものだから、漫画のキャラクターになりそうな風貌である。
そこでドミトリーはあるかと聞くと、
『オフコース』
と、完全にきまっている笑顔で答えてくれて、なんだかおかしかった。
荷物をおいて、食堂にもどると早速チャーイが出てきた。
それをすすりながらたばこを吸っていると、日本人のおじさんが入ってきた。
『今着いたの?
今は寒いよぉ。
だから観光客なんて誰もいないよ。
それにね昨日から停電だからね。
停電といっても、すぐに復活するわけじゃなくて、なんでも工事をやるからこれから、3日くらいは電気こないらしいよ。』
と教えてくれた。
そのMさんというおじさんはの年齢は推定38歳くらいで、靴下は破れていて、Gパンも破れたらしく、そこに何故かひよこのワッペンをはりつけて、髭も髪も伸び放題で、インド人みたいにショールを肩にまいていて、ちょっと怪しい印象を受けた。
後で分ったが彼はここらではちょっとした有名人らしく、フンザに5ヶ月もいるらしい。
いったいどうやったら、そんなにビザが出るのだろうという感じである。
とまあ、宿泊客は私とMさんに二人だけで、私のフンザの滞在はそんなふうに始まった。

次の日の朝、ゲストハウスの食堂に朝食を食べようと思って行くと、壁に朝食のメニューが貼ってあった。
ちなみにフンザには、このコショーさんゲストハウスのほかにハイダーインと、フンザインというゲストハウスがあり、どこもシーズン中は日本人の溜まり場として有名である。
しかしこのコショーさんは、ゲストハウスを始めるまえに、いろいろなホテルをコックとして、働いた経歴があり、コショーさんのところの食事はうまいと評判だった。

フンザのゲストハウスでは、もちろん断ることもできるが、だいたい宿で食事をとることになるので、宿選びは食堂選びも兼ねることになる。
そんなこともあり、私は期待していた。
昨日の夕食は、私が突然の客だったせか、スープとパンといった簡単なものだった。

私は、ブレイクファーストとかかれたメニューにフライドエッグセットとあったので、それを注文した。
するとコショーさんは、またあの決まった笑顔でニコッとして、
『エッグ ノー トゥモロー』
と言う。
要は卵なくて、マーケットに行かなければいけないから、明日にしてくれとのことだった。
なるほど、客が少ないと、そんなに食材を仕入れるわけにもいかないようだ。
もう一人の客である、Mさんはすべて携帯用のコンロで自炊をしているようなので、ここで食べるのは私だけだようだ。
そのために数多くの食材を仕入れても、ほとんどが無駄になってしまう。
なので、メニューがあっても選択の余地はなく出されたものを頂くしかないようだ。

この日の朝食はパンとジャムと、チャーイだった。
しかし次の日の朝食からは卵がついて、夕食も肉が入っておいしかった。

しかし、客が少ないからといっても悪いことばかりではない。
朝食の後、コショーさんが、
『ウォーキング ウォーキング』
と言って、散歩に連れて行ってくれた。
客が多ければこんなことはまずない。
行き先はイーガルネストという、ちょっとした展望ポイントだ。
そこに行くまでに3時間ほどかかった。
天気は完璧といっていいほど曇っていて、目の前は段々畑が急勾配に広がっている。

時期が夏ならここはフルーツに木々でいっぱいになるらしい。
しかし今は冬なのでただの茶色い土があるだけで、農民も冬の間は他の村に移るらしい。
そして、その段々の先には村があり、川が続いている。
その川の向こうにはディランとラカボシという山々が連なっている。
それらの山は雪に覆われていて、背景のくもり空に沈んでしまっていたが、これが快晴だったら、すごい風景だろう。
その風景は、山々に囲まれた谷の村という感じだった。
ここがナウシカのモデルなのかはわからないが、もうそんなことはどうだっていいと思った。
そんな話はおいておいても十分魅力的な景色だった。

ここフンザを歩いていると、よく声をかけられ家に来ないかと誘われる。
もう何年も前、フィリピンのマニラで知り合った人の家に招待され、まんまと睡眠薬を飲まされ身包みはがされたことがあるので、さすがに最初は警戒した。
しかしフンザは歩いてまわれるほどの小さな村である。
知らないところに連れていかれることはまずない。
そんな警戒の必要もないのどかな所だ。

あるときゲストハウスの周りは散歩していると、40代の男が話かけてきた。
英語のできる彼は、ガイドをやっているらしい。
でも今は冬で仕事がないとのことだった。
よかったら家に来ないかというので喜んで行ってみることにした。
彼の家は、ゲストハウスから20分も歩くと着いた。
150年前に造られたというそれは、木の柱に土を塗り固めたものだった。
そこで彼の子どもたちの写真を撮らせてもらったり、インスタントの写真をあげたりした。
そして、彼が近くの村を案内してくれるというので二人で出かけた。
その時に、村を案内するかわりに少しチップをくれないかという。
まあ、案内された後に言われれば私も嫌な思いをしただろうが、最初に言ってくれる
のである意味ありがたい。
そのいい方もバラナシのインド人なんかとは違って、ごくやわらかい言い方だった。

断って一人で帰ってもよかったが、彼の家でいろいろ写真を撮らせてもらったので、少し払うことを約束に村を案内してもらった。
カメラを持っていると子どもたちが
『ワン ピクチャー』
と言って話かけてくる。
写真を撮ってくれという意味だ。
別に撮ったからと言って、
『ワン ルピー』
とは言わない。
彼と歩きながら、そんな風に村の子どもたちの写真を撮るのも楽しかった。

また、一人でアルティット村というところを歩いているとき、ある青年から声をかけられた。
よかったら、家でお茶を飲んでいかないかという。
家はすぐそばだというので、またしてもお邪魔することにした。
その家には女性がたくさんいて、10歳くらいの子どもから、20歳前後の年頃の女性もいた。
その青年の母親が迎えてくれて、お茶だけかと思いきや、ジャガイモと肉を煮込んだ
ご飯を出してくれた。
その後はリンゴがでてきた。
まったく有り難い。
そして、一度青年と村を歩いて、また家にもどってくると再びチャーイで迎えてくれた。
そして、
『今日このまま泊っていけ』
という。
『ホテルに荷物があるから』
と遠回しに断ると、
『じゃあ、明日荷物をもってきてくれ』
となかなかあきらめてくれない。
彼らは信頼できる人たちだというのは充分わかったし、泊ってもよかったが、言葉も
あまり通じない彼らのなかで雑魚寝みたいに泊るのも、疲れてしまうので、理由をつけて丁寧にお断りした。

私がフンザに滞在したのは1週間だった。
結局1週間ずっと電気は来なかった。
ここらではもう5時になると暗くなる。
そのあと、コショーさんのつくる夕食を食べて、7時くらいになるともうやることがない。
室内でも気温は4度くらいまで下がり寒い。
おまけにストーブはあるが、電気ストーブなので意味が無い。
シャワーも電気でお湯を湧かすので、浴びれない。
寝袋に入ってその上に毛布をかけて、ろうそくの明かりで日記を書けばもうあとは暇をもてあますだけだった。
それになにより、天気がよくなかった。
晴れた日というのが一日もなかった。
季節がよかったらもっと長居をしたかったが、1週間で充分かと思ってギルギットに下った。

旅をしていると、やはりもう一度来たいと思う場所は多くある。
同じ場所を尋ねても、同じ体験をすることはまずない。
必ず違った印象を抱かせてくれる。
それは場所が同じでも、時が違うし、自分自身も変わっているからだろう。

このフンザはやはり杏の花が咲く5月にまた来てみたい。
私は強くそう思った。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

「風の谷のフンザ」への1件のフィードバック

  1. HI KONNICHIWA,
    NAN TO KAITE ARU KA WAKARANAI KEDO (KANJI GA YMERARENAI KARA) DEMO HUNZA KANKEINIHONJIN GA KAITE ARU KARA ZETTAI NI II KOTO DA TO OMOIMASU….

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