アニミズムから仏教、キリスト教へ
日本人にはなじみの薄い「信仰」という概念。
戦前の反動による教育のせいなのか、日本人独特の何でも取り込んで変容させてしまう柔軟さのせいなのか、どちらにしても、現代の日本人の多くは「信仰」には疎く、無頓着でさえあります。
私も例にもれず、神社仏閣のどちらにもお参りし、海外で訊ねられると「ブッディスト(仏教徒)だ」と答えますが、家には仏像も仏壇もありません。
カレン族は本来、精霊信仰のアニミストですが、仏教徒も多いです。そして意外なことにキリスト教徒が約20%もいます。
精霊信仰→仏教徒への変遷は日本も似たようなものですし、仏教自体が寛容な宗教で、仏教徒が多い国に住み、常日頃接していれば仏教徒になっていくのも何となく解ります。
しかし、精霊信仰(多神教)→キリスト教(一神教)の変遷は「何故に?」とずっと疑問に思っていました。
信仰の転向
カレン族は木々が鬱蒼としげった豊かな自然の中に住み、狩猟採集の色合いを濃く残した焼畑農業を基盤とする争いのない平和な生活を送っています。
それがなぜ砂漠の遊牧民の間で生まれた一神教へ転向するのか、奥地のカレン族の村で2年前にキリスト教に転向したというヌポーさんに聞いてみました。
—–なぜキリスト教に転向したのですか?
「2年前のことです。妻が原因不明の病気にかかりました。呪術師に伺いを立て、各精霊に鶏や豚などを次々に捧げましたがいつまで経ってもいっこうによくなりませんでした。」
「それで教会に出向き、言われるままに祈ってみたのです。そうしたら何をしても治らなかった妻の病気はどんどんよくなっていきました。」
「このことをきっかけに私たちはキリスト教に転向しました。日曜日には欠かさず教会へ行きます。」
カレン族の伝統的アニミズムの信仰は「即物的」な効果を期待し、彼らの財産でもある鶏や豚を代償に捧げます。
貴重な「財産」を捧げても効果がなく、「祈り」だけで効果があるのであれば、転向もやむ得ないことなのかもしれません。