子供たちのヒーローだった男
子供たちのヒーローだった男の話をします。
彼とはインドの首都デリーの安宿で出会いました。
夏のデリーは連日40℃を超える暑さ。その安宿はパン屋の2階にあってパンを焼く釜の熱が上階に溜まり、外気よりもはるかに暑くなるサウナみたいな部屋でした。
エアコンも扇風機もない部屋で涼を取るために、服を着たままシャワーを浴び、水分が蒸発するときの気化熱を利用して暑さをしのいでいました。
バネが壊れたベッドが並んでいるだけの相部屋で、安さしか取り柄のない宿でした。
インドでの出会い
いつもと同じように暑さでぐったりしているとき、彼が現れました。
サングラスに無精髭で覆われた顔、タンガリーシャツにつばの広い帽子を被った出で立ちはまるでインディ・ジョーンズ。
インドの長期旅行者にありがちな薄汚さはなく、身なりを小奇麗に整え、なかなかの男前。
さわやかな笑顔で「こんにちは」と挨拶して部屋に入ってきました。
「最底辺の安宿に不釣合いでキザな奴」というのが彼の第一印象でした。
しかし、ユーラシア横断という共通の目的を持ち、気さくな人柄もあってすぐに打ち解けるようになりました。
イランでの再会
「じゃ、またどこかで。良い旅を!」と別れを告げた3ヶ月後、イランの古都イスファハンで偶然再会しました。
デリーの時よりも少し色褪せたタンガリーシャツに帽子、そして相変わらずのさわやかな笑顔で相部屋に入ってきたときは本当にビックリしました。
イスラエルでの再会
次の再会はイスラエルの古都エルサレムでした。
彼が長期滞在していた相部屋に私が訪れ、お互い顔を見合わせた後、笑い出しました。
まだインターネット黎明期で、連絡手段は国際電話か現地日本大使館留めに送る手紙の2つしかなかった時代でした。
旅行者でEメールの存在を知っているものは極小数で、私はその他多数のうちの一人でした。
エジプトでの再会
その次の再会はエジプトの首都カイロでした。
カイロには有名な日本人宿サファリホテルがあり、多くの長期旅行者がここに情報や仲間を求めて集まります。
「次ぎ会うときはサファリかな?」と別れ、予想通りの再会となりました。
スペインでの再会
さすがにもう偶然はないだろうと「次は日本だね」と最後の別れを惜しんだ2ヵ月後、スペインの首都マドリッドの街角でばったり出会いました。
モロッコでの再会
2人の次の目的地は同じくモロッコ。もう書くまでもありませんがモロッコのマラケシュで5度目の再会を果たしました。
彼はいつもよく絵葉書を書いていました。
「彼女でしょ?マメだね」と冷やかすと、言葉を濁しながら「いや、違うんだけどね」という答えが返ってきました。
あるとき「時間がないんだ。2月には日本に帰らないと」と彼がため息を付きました。
「オレらには金はないけど時間だけはいっぱいあるじゃない。世界一周してアマゾンに行くのが夢だったんじゃないの?」
そう問う私に「そうだけど・・・」と奥歯に物が挟まったような答えが返ってきました。
2月まで数週間と迫っていた時のことでした。
何か深い事情があるんだろうと察し、それ以上聞くことはしませんでしたが、切羽つまった様子から彼の旅はここまでなんだろうと思っていました。
その後、私はポルトガルの首都リスボンからアメリカのニューヨークに飛びました。日本を発ってから初めての飛行機でした。
アメリカでの再会
アメリカ横断を終え、ロサンゼルスのホテルにチェックインしました。
ホテルの休憩室のドアを開けると思わぬ人がそこにいました。
そう、6度目の再会です。
信じられないような再会を喜び合うのも束の間、彼には空港行きバスの時間があと1時間と迫っていました。
ここロサンゼルスが彼の旅の終着点で旅の最終日だったのです。
アマゾンには行けなかったものの、彼は自らの言葉通り2月に日本に帰国しました。
絵葉書の理由
つい先日、彼の結婚式に呼ばれました。
彼の友人で小学校の先生をしているという方がスピーチに立ちました。
その先生は彼についてこう語りました。
「・・・彼が世界一周するというので、旅立つ前にひとつお願いをしました。
教室の子供たち宛てに世界中から絵葉書を送ってほしいと。
彼は約束どおり絵葉書を子供たちに届けてくれました。
・・・教室に地図を用意しました。子供たちは彼が送ってくれた絵葉書の地名を地図から探し出し、彼の旅の軌跡をつないでいきました。
異国の地から届く絵葉書を子供たちはとても楽しみにしていました。
・・・私は彼にお願いをしました。子供たちが卒業する前に帰ってきて子供たちに世界の話を聞かせてやってほしいと。
彼は約束どおり帰ってきてくれました。
そして放課後の体育館で子供たちに世界一周の話を披露してくれました・・・」
彼が絵葉書をよく書いていた理由、2月にどうしても帰らなければならない理由がこのとき判りました。
彼は子供たちのヒーローだったのです。
インターネットが世界中に広がる少し前、世界が今よりもっと広く感じられた頃のお話です。