瞑想する仏陀。色取り取りのチューリップが植えられた庭園、仏陀の眼前に一条の光が差し込み、花は鮮やかさを増す。陰影の美しい幻想的な光景。チェンマイの古寺にて。
仏陀は座し、右手をそっと地面に付けています。仏陀が悟りを開いたとき、誘惑しようと悪魔が現れます。仏陀が地面に触れると、地神が現れ悪魔を退けた法話によるもので、タイでよく見かける坐像です。
先日、元バックパッカーだったというお坊さんからブログにコメントをいただきました。鉄郎の「バクシーシのこころ」を読んで、法話の参考にさせてくださいとのことでした。
自らの体験したインドを法話として語るのだそうです。インドに長くいると旅人は誰しも思想家になり哲学者になります。生きることの厳しさ、自身の無力さ、日常的な死。この法話、ぜひとも聞いてみたいですね!
インドには仏陀の時代と変わらずサドゥーと呼ばれる修行者がいます。家も名も捨て、彼らはインドを漂泊します。彼らの目的が何なのかは到底理解できません。物欲でないことだけは確かです。
バクシーシの考え方、習慣もきっと仏陀の時代よりもさらにはるか昔から連綿と続いているのでしょう。
若き玄奘三蔵は仏教をもっと詳しく知りたいと天竺を目指しました。元バックパッカーだったこのお坊さんも玄奘三蔵と同じような思いを抱いてインドを旅したのでしょうか。法話の成功を心より祈りたいです。