先月の出張でカレン族の村を2つ訪問してきました。
ひとつは銀細工の村、もうひとつは電気も水道もない奥地の村です。
今回は銀細工の村を紹介します。
まだカレン族銀細工の村と歴史をご覧になっていない方は先にお読みになるとより理解が深まると思います。
カレン族のシルバーを今のような形で最初に作り始めたのは、こちらのページで紹介している女性のスーチャさんです。
彼女は銀細工師の家系のご主人のもとに嫁ぎ、そこで銀細工を覚えました。
カレン族は銀製品を結納品や精霊へのお供え物、または装飾品として用います。
こうした銀製品はそれぞれ意味を持った刻印が打たれ、護符としての意味あいも兼ね備えています。
これらの銀製品は家々に代々伝わる家宝であり、昔は売られるようなことはほとんどなかったようです。
しかし人口の増加、農地の減少などやむをえない事情でこうした家宝を手放さなければならないこともあるそうです。
スーチャさんも例にもれず昔は現金を手に入れるため家に伝わってきた数多くの銀製品を手放したと話してくれました。
生活するのにどうしても必要な塩や家族が着る服となる木綿の糸を手に入れるためには仕方のなかったことだそうです。
しかしこうした貧困の中でも絶対に手放さなかったという100~200年前の銀製品を見せてもらいました。
それは女性が家事や農作業に使う12個の道具を銀で模したもので、古くからスーチャさんの家に伝わり、一族の女性が嫁ぐときに渡されたものだということでした。
刻印は磨耗し、角なども丸みを帯びて、年月の経過を感じさせるものでした。
その他にもかつて北部タイでお金として時には身分証明品として使われていた銀製品など興味深いものを引き出しの奥から取り出し、いろいろと説明してくれました。
これらの品は近日中に写真をサイトで掲載する予定です。
最初はこうした古い銀細工をお金や物に替えていましたが、30年ほど前から山を下りて、新しく作った銀細工に古くから伝わる刻印を打ち売るようになりました。
これが現在知られているカレン族シルバーです。
すべてはこのスーチャさんから始まりました。
しばらくはシルバービーズの形、刻印などは昔からあるものをそのまま使い、種類は非常に限られていたそうです。
しかし、今から10年ほど前、これまでになかった新しい形と刻印を試しに作り売ってみることにしました。
これが当たりました。
昔からのデザインと刻印
パドゥアと呼ばれる花(実在の花ではなく供え物として用いられる)
古い時代の貨幣
女性が身につけるイヤリング
鶏の羽(生贄として捧げる鶏の代わりに用いる)
新しいデザイン
バラ
カメ
魚
自然とともに暮らすカレン族のプリミティブな感性によって作られるデザインはシンプルでどこか温かく、多くの人の心の奥底に何か触れるものがあったようです。
カレン族シルバーの需要は急カーブを描きながら上昇し、スーチャさんの家族だけが行っていた銀細工を他の家族も始めるようになりました。
村は豊かになり、食べるものに困るようなことはなくなりました。
子どもたちは学校に行けるようになり、電気も村に引かれました。
ほんの10年前のことですとスーチャさんは語ってくれました。
カレン族シルバーのデザインやスキルは各家族によって異なります。
ペンダントトップを作ることにかけては定評のあるジンダさんを訊ねいろいろ聞いてみました。
「オレも10年前までは畑を耕していたよ。今はこっち(銀細工)ばかりだけどね。」
「昔はつくるものが限られていたけど、今はたくさんあるよ。新しいもの作らないと売れないからね。他の家族にはないようなものを次々に考えるのはけっこう大変だよ。」
「刻印の意味?知らないね。スーチャの家で聞いた方がいい。」
「新しく銀細工を始めた人はほとんど刻印の意味を知らないのです」とスーチャさんは残念そうに話していました。
銀細工を作って売るのにこうした知識はあまり必要ないかもしれませんが、民族や村の伝統文化が現在の世代で途切れてしまうのは非常に惜しい気がします。
連綿と続いてきたこの貴重な文化を次の世代へ繋げていってほしいものです。